INTERVIEW
SEASON 1
DIRECTOR
INTERVIEW
──山田孝之さんからのお声がけで「MIRRORLIAR FILMS」に参加したとのことですが、最初にこの企画の話を聞いたときはどう感じましたか?
この企画は孝之が、役者やスタッフの労働、売上の分配などの現状を変えていきたいという想いも込めて始めたものじゃないですか。それを聞いていたから、同じ映画人として、その考えに賛同して参加を決めました。孝之に応えたい気持ちもあったし、監督として孝之を撮ってみたい気持ちもあったので、「じゃあ1本撮ってみよう」と。
──安藤さんの初監督作品となった『さくら、』は三角関係を描いた作品です。ストーリーとして三角関係を描いたのはなぜですか?
本当は15分間ずっとセックスしているような、もっと過激なものにしたかったんだけど、今回はR-12指定だからそれはできなくて。異性……同性の人もいるけど、僕の場合は異性だから、異性を執拗に想うことや欲するということ、境界線があるとわかっていても超えてしまうとか、その快楽の先には罪と罰があるということ。男女や肉体にまつわるいろんな感情を、わかりやすい説明ゼリフじゃなくて、いろんな比喩表現にして15分の中に散りばめたかったんです。それならば三角関係が描きやすいかなと。
──“男女や肉体にまつわるいろんな感情”を描きたかったのはどうしてなのでしょうか?
僕自身がそのことについて常に考えているからだと思います。感情や言葉を立体化するのが僕ら役者の仕事ですが、実際に役者自身の心が動くことは、どこかいけないことのように扱われる風潮があると思うんです。だけど、僕はその感情が動きまくっている様子が美しいと感じていて。異性の肌の感覚や質感、匂い、朝日や夕日のグラデーション……そういう自分が美しいと思うものを、映像にしたいし、写真にしたいし、芝居にしていきたい。『さくら、』では、実際には桜は映していませんが、白いタイルに血が落ちて、滲んで白と赤が交じり合って美しいさくら色になる。それは男女の心と心が混じり合って、一つになって、違う色になるっていうことの比喩だったりします。
──その世界を描くために、もともと決まっていた山田孝之さんと、森川葵さんが出演しています。森川さんをキャスティングした理由を教えてください。
僕と孝之だったら、女優さんがいなくても三角関係の話を描けると思ったんですが、孝之に話したら「それはさすがに……」と言われて(笑)。で、女優の候補としてプロデューサーから提案されたのが葵でした。僕、それまで森川葵って、存在は知っていたけど、実際に仕事をしてみて、こんなに素敵な女性だと思わなかった。本当に素晴らしかったよ、感謝してる。
──男女の肉体や感情を描きたかったとおっしゃっていただけあって、森川さんはかなり濃密な絡みに挑戦していますね。
服を着たセックスシーンだからね。なぜ服を着ているかというと、R-12だからというのが一つ。もう一つの理由は……日本映画を見ていると、身も心もさらけ出してくれている女優さんの覚悟に対して、演出が追いついていない作品もあって。やるなら美しい名作に仕上げないといけない。僕が描きたいのは、感情と感情がぶつかりあって、混じり合って1つになるということ。僕だったらそれを、裸にしなくても撮れる自信がありました。撮影前にはちゃんと葵と「どういうことが不安で、どういうことだったらできるか」という話もして。というのも、役者は、何も説明されないまま舞台に上げられて「できるでしょう?」と言われることがものすごく多いんです。僕もこれまでにそういう経験をたくさんしてきているんだけど、本当はそれじゃダメで。きちんとすり合わせをして、役者の気持ちもわかってあげた上で、作品を作らなければ、と。特にラブシーンにおける女優さんのケアは本当に必要だと思う。
──冒頭で、今回の「MIRRORLIAR FILMS」参加の理由を、映画界や芸能界の現状を変えたいからとおっしゃっていましたが、まさにこういうことですよね。
そう。映画ってアイロニーでもあるから。僕は今回、その皮肉を、どう美しく表現できるかということにこだわりました。
──そういう想いも含めて、今回映画監督として作品を撮ってみていかがでしたか?
大変だったけど、挑戦してみてよかったです。僕は、映画は監督のものだと思っています。だから、自分が役者として出演するときは、監督に演技をプレゼントしている感覚なんですが、今回は逆にみんなが僕のために動いてくれたわけで。本当にラブしかないです。ふたりの芝居を殺したくなかったし、もっと撮りたいと思った。1回のイベントで絶対に終わらせたくないですね。
──もし次また作品を撮るなら長編ですか?
長編がいいですね。次はR-18くらいで、男女の交わりと感情のぶつかりをもうちょっと耽美に撮りたい。でも撮らせてもらえるなら短編も撮りたいし、PVも広告も撮りたい。もちろん役者も本気でやっているし、写真も本気でやっているし、映像監督も本気でやっている。全部の立場がわかるからこそ、なおさら全部本気で、やり続けていきたいと思っています。
INTERVIEW
──今回「MIRRORLIAR FILMS」に参加した理由を教えてください。
えっと……「好き勝手やっていいです」ということだったので(笑)。というのも、一緒にやってみたいスタッフさんたちがいて。ドラマでご一緒したチームなのですが、映画をやられていた方が多くて、映画製作を根底に話ができたんです。しかも皆さん私よりも20歳くらい歳上。その年代の方達とご一緒することがほとんどなかったので、新鮮で。その方達と長編の前に短編を1本作れたらと思っていたときに、この「MIRRORLIAR FILMS」のお話をいただいたのでやらせてもらいました。
──そんなチームと作り上げた『Petto』ですが、この作品はどこから着想を得て作ったものなのでしょうか。
これは半分実話なんです。最初は全然違うものを作ろうと思っていたのですが、そのとき連日、政治家の不祥事や失言が報道されていて。SNSではみんながバッシングしていた。その政治家が悪いのはわかるんだけど、この人を選挙で選んで、何年も政治家として放置してきたのは国民やん、とも思っていて。それと同時に、私は若い子から「自分の夢がわかりません」とか「就活を目前にしてやりたいことがわからなくなりました」というメッセージをよくもらうんです。それって、自分と向き合う時間がなくて、自分の価値をどこかに委託しているからだと思うんです。普通に生活していたら自分と向き合うきっかけってそんなにないので仕方がないのですが、“自分の価値を他人に預けない”って大事なことだよなと思っていて。そんなことを考えているときに実家に帰って。実家の愛犬を見ていたら昔の記憶が呼び起こされたんです。
──どんな記憶ですか?
小学3年生くらいの頃、幼馴染から「友達ができたから紹介したい」と言われて、川沿いで紹介されたのがホームレスのおじさんだったんです。といってもその友達はホームレスという言葉も知らなかったし、私もホームレスがどういう人たちかはわからなかった。最初は「ヤバイ」とか「こわい」と思ったのですが、幼馴染とそのおじさんは、楽しそうに話をしていて。ふたりは同じ人間で、何もおかしいことはなくて、むしろふたりに馴染めない私のほうが異物だった。まさに劇中の春乃みたいに、私は離れたところで見ていることしかできなかった。この記憶が急に蘇ってきて、これを映画にしようと。“ペットと飼い主”というような立場や価値って誰が決めてるんだろう?というところから、さっき話した政治家の話や進路の話も含めて、“自分の価値や存在意義は自分で決めろ”ということを言いたかった。今の時代、自分で判断して、自分で責任を持って行動するということがすごく欠けている気がしたから。
──主演の吉田美月喜さん、横田真悠さんについても聞かせてください。
吉田さんは春乃に雰囲気が近そうだなと思って選びました。実際に会ってみると、想像とは違ったのですが、結果的に春乃に近かったです。彼女はそのときドラマをやっていたこともあって、ドラマ寄りの芝居になっていて。私は「ここではそんなに膨らませた芝居をしなくていい」と言ったんです。そしたら本人はどんどん正解が見えなくなって不安になってきて。その迷う感じがすごく春乃っぽかった。本人は手応えなく終わってしまったと思っているかもしれないですが、私はすごくよかったと思っています。
──横田さんはいかがですか。
横田さんが14歳のときに、私が演技の講師として横田さんの事務所に教えに行っていて。そのときの横田さんの立ち振る舞いがめっちゃん(愛美子)みたいだったんです。周りは自分よりも年上のお姉さんたちで、モデルとして活躍している中で、できない芝居をやる怖さも抱えていて。そんな中、横田さんは一人だけへらへら笑っていて、でも芝居にはすごく素直に向き合っていて。その印象が残っていたので、今回出てもらいました。今の横田さんは、もちろん当時と変わっていることも多かったけど、吉田がうまい具合に鎧を剥がそうとしてくれて。実際の彼女はそんなつもりはなくて、単純に横田さんと仲良くなろうとしているだけだったんでしょうけど、そのふたりの感じがすごくよかったですね。
──“好き勝手に”作った『Petto』。枝監督にとってはどんな作品になりましたか?
少しだけ自分を好きになれた作品です。いつも作品が出来上がると、反省が多すぎて「誰かに観てもらいたい」という気持ちが追いつかないんですよ。「もう世に出ちゃう。怖い」って。でも今回は珍しくいろんな人に「観て」と声を掛けています(笑)。それだけ今やってみたいことを詰めてみたモノだったので。欲を言えばもっと好き勝手やりたかったですが(笑)
──「MIRRORLIAR FILMS」のコンセプトは「だれでも映画を撮れる時代の幕が開く」です。映画を作ってみたいと思っている人に対してメッセージを送るとしたら、どんな言葉を送りますか。
正直、“誰でも映画を撮れる時代”が、いいのか悪いのかわかっていなくて。というのも、誰でも撮れてしまったらいけないと思うんです。誰でも撮れるものに価値があるのか?と。でも、だからこそ「あなたが撮るから意味がある」というものを作る必要があるんだと思う。そうじゃないと映画業界自体が死んでいく。だから、自分が撮りたいものをちゃんと見つけてほしいですね。このプロジェクトがそういうことを考えるきっかけになったらいいなと思います。映画や監督に絞らず、自分がやりたいことの選択肢の一つに映画が入るのであれば素晴らしいなと思いますし、『Petto』がそのきっかけになったらうれしいです。
INTERVIEW
──今回「MIRRORLIAR FILMS」に参加した理由を教えてください。
山田(孝之)さんに言われたのが最初ですね。そりゃあ、山田孝之に誘われたら断れないでしょう。 実際に動き始めたのは今年の頭だったかな、「全裸監督」の仕上げをやってるタイミングだったこともあって、新しく作品を作るのは難しいかなと思っていたときに、昔作った『暴れる、女』を思い出して。
──『暴れる、女』は足立紳さんが書き溜めていた脚本の中の1つだそうですね。
2011年に、リーマンショックで、映画の仕事がなくなっちゃって、あいうえお順で最初に出てきた足立さんに「何やってるの?」と連絡したら「何もしてません」って返事がきたから、その日の夕方に会って。「最近観た映画で面白かったのは何?」「どんな映画が面白いと思う?」「どんな映画を作りたいか?」という話をしました。仕事は一緒にしていたけど、映画のそういう話をしたのは初めてで。そこから毎日のように会って話しているうちに、「じゃあ自分たちが面白いと思うシナリオを作ろう」という話になって何本か作りました。そのうちの1本が『暴れる、女』です。僕はずっと男の作品ばっかり撮っていたから、女が主人公の物語を作りたくて。あとは『グロリア』(80)とか『ゲッタウェイ』(72)みたいな活劇が最近の日本映画にはないから、そういうものを作りたかった。で、『暴れる、女』のシナリオが完成したんだけど、その頃東日本大震災が起こって、いろんな会社に持って行ったけど「今はこんなもの作れない」と断られて形にできなくて。その間に僕はモンゴルで『モンゴル野球青春記』(13)を撮って、その間に足立さんは『百円の恋』(14)を書いてきた。そうこうしてるうちに10年経っちゃって。
──で、今回再び『暴れる、女』に脚光が当たったと。
ふと「オープニングのタイトルが出るまでってちょうど15分くらいだな」と思ったんです。それをショートフィルムにしたら面白いんじゃないかなと。映画のタイトルが出るまでの時間って緊張があって面白いから、そこだけで短編映画を観るに値するんじゃないかと思いました。映画って結局、オープニングの10分とラストの10分が一番面白いんですよね。作り手が一番力を入れるところで、当然お金もかかっているし、知恵も使っているわけだから。
──『暴れる、女』のタイトルが出るシーンもすごく印象的でした。
ああいう瞬間が映画を見ていてゾクっとするところですよね。映画館の暗闇の中で「来るぞ来るぞ……来たー! さあ、ここから2時間楽しもう」っていうのが映画の楽しみ方だと思うんです。でも最近は映画の見方が変わってきて、みんなもっと細かいところばっかり見ている気がしていて。だから僕は今回、ここが映画の一番面白いところで、ここにお金も時間もかけるべきだってことを改めて伝えたいと思った。やってみたけど、案の定気持ちいいものができたような気がします。
──まさに“暴れる女”である、主人公の響子に友近さんをキャスティングした理由を教えてください。
友近さんは、ご本人が女囚ものが好きなんですよ。『女囚さそり』シリーズとかめちゃくちゃ詳しくて、ものすごく勉強してる。それを知っていたからぴったりだなと思って。しかも憑依するタイプの役者だから、実際に演じてもらったときのチャンネルもピッタリだった。むしろ相手の男役のほうが悩んだな。暴れる響子を受ける役で、演じるのは難しいと思ったから。
──その友広役は渡辺大知さんです。
童顔で、可愛らしくて憎めない。さらに芝居の順能力もある人がいいなと思って悩んでいたんだけど……「全裸監督」の現場で(渡辺)大知くんと出会って「近くにいた!」と思いました。大知くんもこの「MIRRORLIAR FILMS」で監督をやるからノリもわかっているし。ふたりともとにかく映画が好きでたまらないという人だし、ライブや即興ができる人だから、このふたりだからこその響子と知広になったと思います。
──今作はオープニングの15分ということですし、映画の最後には「To be continued」と出ます。いつか続きも見られると期待していいのでしょうか?
もちろんです。この先、響子がさらに暴れていきます。
──楽しみにしています。今回の「MIRRORLIAR FILMS」のコンセプトは「だれでも映画を撮れる時代の幕が開く」です。映画を作ってみたいと思っている若者に対してメッセージを送るなら、何を伝えますか?
撮ってみたいと“思っている”んじゃなくて、撮ったほうが良いということです。で、どういうものができたかをちゃんと自分で把握する。大事なのは、「誰もが映画を撮れる時代の中でどういうものを残すのか」。誰もが撮れるかもしれないけど、残せるものを作れるかどうかはまた別。それは僕らも考えていることで。1本なら誰でも撮れるけど、一生の仕事として30本撮れるのか。もしくは残せるものを作れるか。誰もが撮れるかもしれないけど、残せる映画を作るというのは簡単なことじゃないと思います。
──“誰でも映画を撮れる時代”だからこそ、武監督が映画を撮るときに意識していることや大切にしていることを教えてください。
技術。大きな映画館でかかったときに、技術の差は大きく出る。結局、映画は観る人のためのもの。僕らがいなくなったあとも、その映画が残るかどうかは、観た人が大事にしてくれるかどうかにかかっています。そのために技術は大事。だから、誰もが映画を撮れる時代、だけど簡単ではない、と思っています。
INTERVIEW
──今回「MIRRORLIAR FILMS」に応募した経緯を教えてください。
会社の先輩で、今作のプロデューサーでもある七条剛に声をかけられまして。僕は昨年、今の会社に入社したのですが、コロナ禍で入社したこともあって仕事に余裕があって……というかあまりやることがなかったので(笑)、やらせていただきました。
──ということは『充電人』は「MIRRORLIAR FILMS」に向けて作った作品ですか?
そうです。この企画のテーマが“変化”ということだったので、そのテーマをもとに作りました。僕はテーマがあるほうが作品を作りやすいタイプなので、ありがたく活用させていただきました。
──“変化”をテーマに『充電人』を作り上げたとのことですが、着想はどこから?
普段から面白いことや変な単語を思いついたらスマホにメモするようにしていて。「“変化”につながりそうなものないかな?」と、そのメモを見ていたら「充電人(じゅでんちゅ)」とあり。どうしてこの単語を思いついたのかはまったく思い出せないのですが、この単語にピンときて、ここから膨らませていきました。最初はプラグが生えてくるという発想はなくて、何かしらで充電して人間から充電人に変化するということを軸にストーリーを考えていたのですが、ビジュアル的にも変化があったほうがいいなと思って、プラグを生やしました。変化をわかりやすく表現したのがプラグという感じです。
──プラグが生えているという描写、正直最初はぎょっとしたのですが、見ているうちにどんどんかわいらしく見えてきました。
あはは(笑)。本田響矢さんが演じてくださったおかげでかわいらしくなったのかなと思います。実は当初、雷太役も瑠輝役も別の方をキャスティングしていたんです。しかし撮影の一週間ほど前に緊急事態宣言が発出されて、もともと使う予定だったロケ地が使えなくなってしまって。ロケ地の調整をしたら、今度は役者さんのスケジュールが合わなくなってしまい。本田さんと永井理子さんには急遽お願いする形になってしまったのですが、おふたりとも充電人になりきってくださって(笑)。このおふたりでよかったなと思いました。
──出来上がった作品を改めて見て、どういう作品になったと思いますか?
脚本を書いている段階では、最終的にもうちょっとシリアスな作品になるのかなと思っていたのですが、蓋を開けてみたら全編ツッコミ不在のコメディで(笑)。そもそも俳優さんもロケ地も当初の予定とは異なっていたので、予想とは違うものが出来上がっていくのが面白かったです。あと、学生時代は自分で撮影含め全役職をやるみたいな映画作りしかしていなかったので、カメラマンがいて、照明部や録音部がいて……という映画作りは今回が初めてで。人に伝える難しさなども感じながらでしたが、こういう経験ができてよかったです。
──そうやって作った作品が、今回「MIRRORLIAR FILMS」の公募枠に選ばれたことで、自信にもつながったのでは。
そうですね。コロナ入社で、作品を作りたいと思いながらも機会がなかったので、まずは今回1本完成させられたということ自体がうれしかったです。さらにそれを選んでもらって、さらに自信が付きました。
──そもそも西監督が映像を撮り始めたきっかけは何だったのでしょうか?
高校の文化祭で、クラス対抗で1分間のショートムービーを作ることになって、僕が自分のクラスの作品の監督・脚本を務めたんです。そのときもコメディっぽい動画を作ったのですが、上映したときにすごくウケて、最終的に11クラスの中で1位になって。進路を考えるときにそのことを思い出して、映像を学べる大学に進んだことが始まりです。
──『充電人』は意図せずなところもあったということですが、根本的にはコメディなど、笑えるような動画を作りたい?
そうですね。学生時代に作ったものを振り返ってみても、クスッとするものが多くて。「コメディを作りたい」という強い思いがあるというわけではないのですが、基本的に笑いが起こる作品が好きなんだろうなと思います。
──今回の「MIRRORLIAR FILMS」のコンセプトは「だれでも映画を撮れる時代の幕が開く」です。西監督は、“だれでも映画を撮れる時代”はどのようなものだと感じていますか?
自分は福岡出身で、大学時代は佐賀の大学に通っていて。そんな田舎に住んでいる僕でも学生時代から映像を作れたのは、学生でも手の届く価格で機材が売っていたり、スマホで動画が撮影できたりするからだと思うんです。この流れがもっと加速して、映画を撮るということがもっと身近になれば、東京以外の街からも有名な監督がたくさん出て来られて面白くなっていくと思います。
──ではそういう時代の中で、西監督はどういう作品作りをしていきたいと考えていますか?
誰でも撮れると言っても、やはり映画を完成させるというのは難しくて。誰でも撮れるからといって、映画を作るのが簡単になるわけでも、価値が安くなるわけでもない。作る人口は増えていくでしょうが、僕は僕で今までやってきたことを自信にして今後も真摯に映像や映画を作っていきたいと思っています。今は主にCMを作る会社に所属しているので、CMやミュージックビデオを作りつつ、映画は今後も作り続けていきたいです。
INTERVIEW
──花田さんは今作が初の監督映画となりますが、今回「MIRRORLIAR FILMS」に参加した経緯を教えてください。
「MIRRORLIAR FILMS」企画のプロデューサーの一人、関根佑介さんとゲーム友達で。去年、共通のゲーム友達と3人で映画『TENET テネット』(20)を観に行ったんです。観終わったあとに、3人で「あれはこういう意味だったのでは」「こことここは繋がってるんじゃない?」などと話をしていたら、関根さんに「花田さん、映画撮ってみませんか?」と言われて。「漫画家さんが映画を撮ったらどうなるのか興味がある」って。もともと映画は好きだったし、映画監督が役者や脚本を見るのと同じように、漫画家も俯瞰で作品を見ているので、確かに役割とは似ていますし、やってみたいと思ってお受けしました。
──「作ってみませんか?」の一言から始まった『INSIDE』ですが、作品は何から着想を得て作っていったのでしょうか?
私の好きなゲームの一つに、デンマークの「playdead」さんという会社の「INSIDE」というゲームがあって。文字通り“中身(INSIDE)”という普遍的なテーマを核にしたホラーゲームなのですが、すごく考察のしがいがあるゲームで、プレイし終わったあともずっと心に残っていたんです。今回映画のお話をもらった時に、このゲームからもらったインスピレーションを実写で表現できないかと思いました。
──「INSIDE」は主人公が脱出を目指すゲームですが、“脱出する”という点も映画の『INSIDE』と共通していますね。
はい。ゲームの「INSIDE」は、脱出した先も“中身(INSIDE)”だったというエンディングなのですが、“外に出たからといって全部が解決するわけじゃない”というその結末が、実際の人間社会を非常によく表していて、自分の中ですごく腑に落ちて。当初、映画の『INSIDE』は少女が外に出て外の美しさや刺激に感動して終わりという結末で、少し締めが弱いなという悩みを抱えていたのですが、ゲームのその結末を思い出して、同じように普遍的なテーマを持たせ、映画も“外に出てもまだ内側にいる”という見え方ができるような作りにしました。だから、表現もストーリーも世界観も違うけれど、作品のテーマ性や核心部分はものすごくゲームの影響を受けているんですよね。外に出たところで彼女にとっての“インサイド”は解決していない。彼女の育ってきた環境は少なからず彼女の人間形成に関わっていて、金魚を台所から流したことが「家から外の海に逃がした」つもりでも「本当は下水に流して殺してしまった」ともとれるように、例えば外で出会った幼い女の子に対しても、金魚のように守ろうとしても、歪んだ愛を向けてしまうかもしれない。最後の少女の引きつった笑いは、それを表現しています。
──最後の表情も含め、今作はセリフが少なく、役者さんの表情や間が鍵を握っています。主演の山中蓮名さん、木村多江さんとはどのようにすり合わせをしていったのでしょうか?
漫画だったらキャラクターを自分の思い通りに描けるけれど、役者さんにやってもらうとなると、その方固有の演技がある。脚本を書くときに、そのことがすっかり頭から抜けていたので、あとから「あ、自分で描くわけじゃないんだった」と思いました。ぴったりな役者さんがいなかったらどうしよう……と。でも幸運なことに、ぴったりな山中さんと木村さんが出てくださることになって。また、どちらかというと少女の作り込みばかりしていて、自分の中でお母さんのキャラクターがあまり作り込めていなかったのですが、現場で木村さんが「このお母さんだったら、こういうふうにやるんじゃないかなと思います」と具体的な提案をしてくれて。そこで初めてお母さんというキャラクターがしっかりとした形を持った気がしました。この映画は、あのおふたりじゃなかったら全然違う映画になっていたと思う。そのくらいおふたりがぴったりで、感謝しています。
──漫画と映画、製作する上での違いで特に印象的だったことはありますか?
静止画で見せていく漫画と、動きのある映像では全然手法が違うんだということはすごく感じました。今回、映画を撮るにあたって絵コンテを描いたんです。「ここはこういうアングルで」とか「ここはここからの角度のアップで」と全部指定して。スタッフさんはわかりやすかったと言ってくださいましたが、静止画で考えていたので15分映画にしてはすごくカット数の多い映画になってしまった。おかげで現場ではワンシーンを撮るためにみんながものを移動させたりカメラを設置したり、ものすごく大変で。映像ならではの定点撮影や動きを意識した絵作りをもっと考えればよかったなと、あとから思いました。
──また映画は撮ってみたいですか?
ぜひ撮りたいです。できれば今回の花田組でまたやりたい。今回、一流の方が勢ぞろいしてくださったこともあり、撮りながらいろいろアイデアを出してもらったんです。みんなでアイデアを出し合う楽しさを経験できたので、また人と一緒にもの作りをしてみたいなという気持ちになりました。
──「MIRRORLIAR FILMS」のコンセプトは「だれでも映画を撮れる時代の幕が開く」です。漫画家でもある花田さんは、この「誰でも作品を作れる時代」をどう捉えていますか?
ネットなどでの発表の場が増えていて、漫画なり映画なり、自分が頑張れば人に見てもらう場は用意されているというのが今の時代は印象的ですよね。「撮りたい」とか「描きたい」という初期衝動で、もっとみんなが気軽に作品作りに取り組めることができたら楽しいんじゃないかな。同時に、そういう時代であるということは、今まで出てきていなかった有能な人たちがポンポン出てくるということでもあるので、なおさら自分も頑張らなきゃいけないなというのはすごく感じますし、業界全体にとってもいい影響は出ると思います。
INTERVIEW
──針生監督の『B級文化遺産』は2014年製作の作品です。この作品で「MIRRORLIAR FILMS」に参加した理由を教えてください。
作った当時は、どこで上映するとかどこの映画祭に出品するということは何も考えずに、ただ「こういうものを作りたい」という気持ちだけでまずは作って。そこからネットで映画祭を探して応募しまくって……という感じでした。その結果、海外のいくつかの映画祭では上映してもらえたのですが、日本でももっと上映してもらいたいとずっと思っていたんです。そんなときに知人からこの「MIRRORLIAR FILMS」の話を聞いて。応募に関する記事を読んでいたら「ネット上で眠っているような作品でもいい」ということを山田孝之さんがおっしゃっていたので、これだと思って応募しました。
──製作してから7年ほど経っていますが、今ご自身で『B級文化遺産』を観返してみていかがですか?
面白いです(笑)。『B級文化遺産』は当時好きだったものをとにかく詰め込もうと思った作品なんです。あの頃、スケートボードをやるのが好きで、スケボーのビデオを見るのが好きで、かつ「SF映画を作りたい」と思っていたので「スケボーでSF映画を作った面白いんじゃないか」っていうそんなノリで。今観てもそのときの情熱を感じます。
──海外の映画祭で上映されたとおっしゃっていましたが、和のテイストを感じさせる劇伴も印象的でした。
当時MTVで仕事をしていて、寺田創一さんがやっているOmodakaというテクノプロジェクトによく曲を作ってもらっていたんです。琴などが入ったテクノで。その曲の感じが好きだったので、自主制作でやるときはOmodakaにお願いしようとずっと思っていました。特に冒頭は、西部劇が始まるような感じにしたかったので、“和風のガンマン音楽”を作って欲しいとお願いしたりして(笑)。
──どうして西部劇に?
スケーターって、当時はならず者のヒーローみたいに思っていたので、それがクリントイースト・ウッドみたいだなと。なので……西部劇っぽくしたいと思いました(笑)。
──冒頭のシーン以外で、特に好きな場面や撮影で印象的だったシーンはありますか?
踏切の場面ですね。あのシーン、ウォールライドっていうスケボーの技を入れているんです。やろうと思えば作品内にもっといろんなスケボーの技を入れられたんですけど、とはいえスケートビデオを撮っているわけじゃないので、あくまでも逃げる主人公の感情がブレない程度の技……「いつもスケボーしてるからこそつい出ちゃった」くらいの技を少しずつ見せていて。で、この作品の中で最大の技をウォールライドに決めて、最大の敵を踏切にして、この話の見せ場もここで考えないと……って話がどんどん出来てきてあの流れに。馬鹿馬鹿しいけど面白い流れになったなと自分でも気に入っています。スナイパーっぽい赤い丸も使ってみたいから、踏切はそれが使える武器にして……とか考えて(笑)。楽しかったです。
──楽しそうに映画のお話しをされますね。
映像を作ることがすごく好きなんです。それこそ『B級文化遺産』を作ったことをキッカケに脚本の勉強もし始めて。「あれをキッカケに脚本の勉強を始めたんかい! 全然ストーリーないのに!」と思われるかもしれないんですが(笑)、あれを作ったからこそ、ちゃんとストーリーを勉強しなくちゃと思って。そうしてやっと「映画を作る人ってこうやって作ってたんだ」とわかって、今はさらに映画を作ることが楽しくなってきました。
──「MIRRORLIAR FILMS」のコンセプトは「だれでも映画を撮れる時代の幕が開く」です。そんな時代だからこそ、針生監督が映像作品を作るにあたって意識していることはありますか?
“自分が好きなものは何か”ということをブレずに持つ。今って、誰でも映画を撮れる時代であると同時に、映像がいっぱいある時代でもあるじゃないですか。映画館でもNetflixでもYouTubeでも。僕も観るときは「これ面白い」「あれも面白い」ってなります。だからこそ、自分が作るときはすごくパーソナルな部分を大切にするというか。オリジナリティを出すには、自分が好きなもの、自分が興味を持っているものを作らないといけないなと。自分が作る意味……「なぜそれを作りたいか」ということをまずしっかりと考えるようにしています。
──針生監督は現在、ドラマやCM、ミュージックビデオなど様々な映像作品に携わっていらっしゃいますが、今後の作品作りの展望を教えてください。
長編映画に挑戦したいなと。まずはそれを実現させるというのが一番の目標です。あとは自分に刺激をくれる人たちと作品を作っていきたいなと思っていて。例えば、最近s**t kingzというパフォーマンスチームとよくお仕事をさせていただいているのですが、彼らとは数年前に初めて仕事をしたときにすごく意気投合して以来いろんな企画を一緒にしているんです。彼らの持っているポジティブなパワーや行動力からはすごく刺激を受けます。これからもそういう人たちと作品を作っていけたら、ずっと楽しいんだろうなと。楽しんで作品作りをするということを、何より大事にしていきたいです。
INTERVIEW
──『無題』はコロナ禍ですべての仕事がなくなった時に作り始めた作品だそうですね。
僕は普段テレビドラマの演出の仕事が多いです。それはそれで面白いのですけど、自分で脚本を書いて映像を撮りたいという気持ちもあって。でもやっぱりオリジナル作品ってなかなか企画が通らないんです。それこそ『無題』のイツキと同様、僕も犯罪加害者の家族を描いた作品など、メッセージ性の強いものを作りたいという気持ちが強かったので余計に。イツキも言われているように「実際の事件などを元にした企画の方が通りやすい」とか「キラキラしたものをやったほうがいいよ」って言われたりして。だからコロナ禍で仕事がなくなった時期に、みんなに協力してもらって自主制作で作りました。
──『無題』ではまさに、社会問題を主題にした映画を作ろうとする映画監督の姿が描かれています。
作りたいものは自分の中にあったのですが、いろいろと考えているうちに、イツキと同じく「俺は、社会問題やそれによって苦しんでいる人たちを利用しているだけなんじゃないか」という心境になってしまったんです。そしたら急に何も書けなくなってしまって。「だったら自分の今のこの気持ちをそのまま映画にしてみよう」と思いました。監督の苦悩なんて誰も興味ないから、普段だったらこの企画は通らないだろうけど、今回は自主製作だしと思って。こんなこと言ってはいけないのかもしれないですが……初めて、観る人のことを考えずに作りました。何かや誰かを批判する気持ちは全くなくて、「ちょっと僕の悩みを聞いてもらえますか?」という気持ちで作りました。これを観た誰かに「藤原くん、それでも映画を作っていいんだよ」って言ってもらえないかなと思って。
──「MIRRORLIAR FILMS」の公募枠作品に選ばれたことで、「それでも映画を作っていいんだよ」と言われた感覚になったのではないでしょうか?
もともと「MIRRORLIAR FILMS」に出すことも考えずに作ったのですが、結果的にこの作品を公募枠の一つに選んでもらえて不思議な気持ちです。選んでいただけたということは、審査する人の中に、これをいいと思ってくれた人がいたということだと思うので。「やってみれば?」と肯定してもらえた気がしてうれしかったですね。
──作品を完成させたことで監督の気持ちに変化はありました?
うーん……なかったです。いつも“正解が見えない自分の気持ちを、映像にしたら答えが出るんじゃないか”という気持ちで作るのですが、今回は完成しても何も答えが見えなくて。今後これを観た人たちと話をしていく中で、何か見えてくるのかなと思います。とはいえ、作り始めた頃よりは少し見えてきたところもあって。実は、今年もう1本自主映画を作ろうという話が出ているのですが、それが犯罪加害者の家族の話なんです。これを作ろうと思えただけでも進めているのかなと思います。やっと自分の中で整理がついたんでしょうね。
──キャストのおふたりについても聞かせてください。映画監督の苦悩を背負うイツキ役は仁村紗和さんです。
仁村さんはセリフをしゃべっていないときの佇まいで心境を語ることができる人だなと思いました。じっと見ているだけで感情が伝わってきたり、考えさせられたり。本当に仁村さんにお願いできてよかったです。
──イツキが映画の題材にするホームレスの少女・光役は奥村心結さん。
奥村さんはオーディションで決まったのですが、一人だけ芝居が違いました。オーディションでは映画の最後のワーッと畳み掛けるシーンをやってもらったのですが、他の子はいわゆる子役っぽい演技と言いますか、怖がらせようとしたり、ホラーっぽい雰囲気を出そうとしていたのですが、奥村さんだけ淡々としていて。その雰囲気が『無題』に合っているなと思い、お願いすることに決めました。僕はいつもキャラクターごとに年表のようなものを渡して役について説明するのですが、ふたりともそれを渡したらすんなり役に入ってくれたので、芝居について何かを言うようなことはほとんどなかったですね。
──「MIRRORLIAR FILMS」のコンセプトは「だれでも映画を撮れる時代の幕が開く」です。そんな時代だからこそ、藤原監督が作品を作るときに意識していることはありますか?
“だれでも映画を撮れる時代”は、映像の仕事をしている人間としては「困ったもんだなぁ」と思います。確実に自分たちの仕事が脅かされているので(笑)。今年の春から専門学校で講師をしているのですが、若い子たちみんなすごいんですよ。脚本がすごく面白かったり。YouTubeにも編集が面白い映像などがありますし。だからこそ脅威でもある一方で、いい刺激にもなります。あとは映画業界やテレビ業界って、すごく閉鎖的なので固定概念も根強くあるのが現状なのですが、僕自身はそういうものにとらわれないで自由に作品を作っていきたいなと思っています。そういう意味で、今回「MIRRORLIAR FILMS」に参加させてもらったことはすごくよかったです。すごく楽しかったです。
INTERVIEW
──今作が初監督作となりますが、今回「MIRRORLIAR FILMS」に参加した経緯を教えてください。
『Daughters』(20)の製作期間中に、プロデューサーの伊藤主税さんと「自分が演じるのとはまた別の表現方法でもの作りがしてみたい」という話をしていたんです。そしたら今回、伊藤さんから声をかけてもらい、監督をさせていただくことになりました。でも具体的に“こういうものが作りたい”というものがあったわけじゃなくて、“映画を作るってどういう感じなのかな”って興味があるくらいだったので、撮ることになってから皆さんと話し合って作るものを決めていきました。
──そして『inside you』という作品が出来上がったわけですが、この作品はどうやって誕生したんですか。
脚本は公募で決めました。読んで「なぜこの脚本を書いたのか」ということがすごく気になったので、脚本を書かれた相羽咲良さんと実際にお会いしてお話ししたのですが、センスや物事の捉え方など、相羽さんの持つ感性がすごく美しくて。そこから相羽さんと細かいやりとりを経て完成稿にしていきました。公募した脚本ですが、自分の体験や考え方も投影して、私が発信する意味や説得力を大切に作っていきました。
──主演のおふたりについても聞かせてください。まずは山口まゆさん。
実は、すごくいいストーリーになった実感はあったのですが、一方で、セリフが少ない分、女優さんには優しくない台本だなとも思っていて。私が出る側だったら「ここはなぜこの色なんですか?」とか「どうしてこういう行動を取るんですか?」と聞きたくなっちゃうなと。でも山口さんは初日に「すごく好きな脚本です」と言ってくださって。優しくないはずの台本を、ちゃんと解釈して繊細に演じてくださってすごくうれしかったです。
──そんな山口さんと対峙するのが、バレエダンサーの飯島望未さんです。
飯島さんの活躍はもともと拝見していて、今回ぜひ出ていただきたいなと思っていたのですが、一流の方ですし、「ショートフィルムに出てくださるかな」とも思っていて。知り合いを通じて「飯島さんにしかできないのでお願いします」とお手紙をお送りして、出ていただけることになりました。
──飯島さんが踊るシーンは、色味も含めてとても美しいですね。
そう言っていただけてうれしいです。あの日のあの時間って本当に奇跡が重なった瞬間なんです。前日すごく雨が降っていて地面がぬかるんでいて。さらに当日も直前まで曇っていたのですが、撮影時間が近付いたらいきなり晴れて、すごく綺麗な夕焼けが広がって。夕焼けが出ている時間はすごく短いので、その短い時間の中で、飯島さんに短いものから1分くらいまで、ほぼ休憩なしで踊っていただきました。飯島さんの踊りを見ているだけで、私も含めてスタッフ全員が「今日、やってよかったなー」と思えるような温かい気持ちになって。現場で感じたあの空気感をスクリーンでも皆さんに感じていただきたいなと思いました。
──今回すべての作品に課せられたテーマは「変化」。この作品で三吉監督が“変化”を通じて描きたかったことはどのようなものですか?
私は表に出る仕事なので、自分の変化って外から見ている人にもわかりやすいと思うんです。でも私の場合は人から見えやすいというだけで、この映画のように、変化やターニングポイントは誰の日常にも潜んでいる。しかも、人から見たら小さなことでも、当人にしてみたらすごく大きな変化だったりするわけで。この映画を観た人が、少しでも自分自身の変化に気付いて、その変化から人生について考えてくれたらうれしいなと思っています。また、今後も悩んだり、変化があったりしたときに、ふと見返したくなるような、長い時間寄り添えるような作品になったらうれしいです。
──初めての映画監督はいかがでしたか?
収穫がすごくたくさんありました。普段自分が役者として監督と向き合っているときも感じていましたが、今回監督を経験して改めて、自分が思っていることを相手に伝える難しさを感じました。今後、役者として作品に関わるときにも、自分の考えを丁寧に言葉にしていけたらと思います。また、今回形になったことで見えてきたものもあるので、機会があったら今後も監督として映画を撮ってみたいですね。
──冒頭にもありましたが、今回はプロデューサーの伊藤さんを始め『Daughters』と同じスタッフ陣でしたが、もしまた撮るなら次回もまた同じチームで撮りたいですか? それとも違うチームでやってみたい?
次回は別のチームでやってみたいです。今回『Daughters』のチームと一緒にやったのは、『Daughters』が私にとっての青春だったから。お芝居で小春を演じているというよりも、自分自身が小春としてその期間存在していたという実感があった作品で。もちろん絵も綺麗だったし、衣装もかわいかったのもチームとしてご一緒した理由でしたけど、役者としてそういう感覚になれたのがすごくうれしかった。だからこれから先にまた、女優として『Daughters』のような作品と出会って、その方達と一緒に、『Daughters』や『inside you』を超える作品を作れたらいいなと思います。
INTERVIEW
──『無事なる三匹』という作品はもともと「311 仙台短篇映画祭制作プロジェクト『明日』」のために作られた作品です。今回この作品を使った映画を撮ろうと思ったのはどうしてですか?
今回、予算が100万円だったので「100万円で何ができるかな」と考えたときに、この作品のことを思い出して。あのやり方だったら100万円でもできるなと、予算から逆算していきました。
──10年前はどんな想いで『無事なる三匹』を作られたのでしょうか?
直接被害があったのは東北でしたけど、東京でも電気が消えたり仕事が止まったりして落ち込んだムードでしたよね。映画監督含め、周りの表現者は被災地に行って直接支援している人もいましたし、とにかく何か意見を言わなきゃいけない雰囲気があって、そんなムードに疲れてしまって。そんなときに、自分が観たいと思ったのがスケべな男たちだった。“シビアな状況だけど、でも女の子とエッチしたいよな”、そういう男たちを観たい。そう思って作ったのが『無事なる三匹』。もちろん、結局何をやっても現実から逃避はできないんですけど、そういうものを作っていないと自分のバランスがおかしくなるような感覚があって。自分が映画を作り始めた頃のメンバーで、映画を作り始めた頃のノリで何か作品を作りたかった。
──そんな10年前の『無事なる三匹』を経て、今回「コロナ死闘篇」を作られたわけですが、山下監督の中に、コロナ禍でその頃に近い感情があったのでしょうか?
正直コロナ禍というのはあまり意識していなくて。もちろん今作るものだから、作品の中でコロナ禍の状況には触れていますけど、気持ち的にはそんなに背負っていなかったですね。どちらかというと同窓会のような気持ちで。「10年ぶりだけどみんな何してるの?」みたいな。
──なるほど。では同窓会はいかがでした?
みんな、あまり10年前の現場のことを覚えてなかったです(笑)。その間に宇野祥平くんは日本アカデミー賞をとったりしましたけど(第44回日本アカデミー賞 優秀助演男優賞受賞)、集まるとみんな全然変わってなくて。僕自身もカメラマンの近藤(龍人)も脚本の向井(康介)も含めて、それぞれ変わったところもありつつ、変わらないところもありつつで面白かったですね。
──“三匹”を演じた山本浩司さん、山本剛史さん、宇野祥平さん、それぞれの変化について聞かせてください。
山本浩司さんは子供が生まれたからかだいぶ落ち着いて、情緒不安定じゃなくなった感じがしました(笑)。10年前は長台詞が覚えられなくて必死でしたが、今回は安心感もあったし、芝居を楽しんでいる感じがしました。あとは、海パンが似合う。山本さんって昔すごいガリガリだったんですよ。そのシルエットが好きだったんですけど、中年になって肉も付いてきた今のシルエットも切なくていいなと思いました(笑)。山本剛史は……一番老けましたね(笑)。彼は中学からの同級生なので、あまり役者として見られないんです。お互い気恥ずかしさもあって、いまだに距離感がわからない。でも本質的には今回の役者の中で一番変わってないんじゃないかな。宇野くんは貫禄というか、安心感がありますね。今回、特に思いました。影のリーダーというか、一番どしっと構えてくれていたのが宇野くんだった。今度は長編で一緒にやりたいですね。
──そこに今回は“プラスワン”として水澤紳吾さんが加わりました。プラスワンとして水澤さんを加えたのはどうしてだったのでしょう?
僕が水澤さんと仕事したいと思っていた、ただそれだけで。別に3人でもよかったんだけど、水澤さんも一緒にやりたかったから4人になっちゃったっていう(笑)。結果、最高でしたね。水澤さんは酔っ払った姿しか知らなくて心配していたのですが、素晴らしかった。撮影もただただ楽しかったです。
──山下監督は、今回のプロジェクト参加発表時に「いろんな経験をしてきた今、自由に好きにと言われても正直どうしていいのか分からない……」とコメントされていましたが、それは撮りたいものがなくなってきているということなのでしょうか?
もともとあまり撮りたいものがないというか……最初の2本くらいで出し尽くしちゃって。実際にお題を与えられたり、現場に行ったりすると、むくむくっとやりたいことが出てくるんですけど、「こういうテーマのものを撮りたい」というものはあまりないですね。でも『無事なる三匹』みたいなものをやりたいという気持ちはあります。まったくメッセージがなくて、教訓も成長もない、けど何か面白いっていうもの。彼らが笹塚あたりの家に集まって作戦会議して「よし、じゃあ海行くか」っていうだけの90分の映画。楽しそうですよね(笑)。
──楽しみにしています。では最後に。「MIRRORLIAR FILMS」のコンセプトは「だれでも映画を撮れる時代の幕が開く」です。誰でも映画を撮れる時代だからこそ、山下監督が意識していることは何ですか?
僕は、映画は“誰と作るか”が大事だと思っていて。それは、物理的に誰でも映画が作りやすい時代になった今も昔も変わらない。自分が面白いと思えるキャスト・スタッフと作れる環境にあれば、「まだ自分は間違ってない」と思えるというか。自分がつまらないものを作り出した瞬間に人は離れてくと思うので、それが怖いなと思いながら仕事をしています。でももちろん入れ替わりがあることで。だからもし10年後に近藤や向井が違うステージに行っていたとして、そのときに別の若い面白い人たちと一緒に作れるように、ちゃんと作り続けていたいなと思います。
SEASON 2
DIRECTOR
INTERVIEW
──今回「MIRRORLIAR FILMS」に参加した理由を教えてください。
私はニューヨークに住んでいるのですが、ある日、日本に住んでいる友達から「元気?」ってたわいもない連絡が来たんです。その頃ちょうど私は『Denture Adventure』の撮影を終えたところだったので、「最近、ショートフィルムを撮ったんだよね」という話をしたら、「これに応募しなよ」と、「MIRRORLIAR FILMS」のリンクを送ってくれて。読んでみたらテーマが“変化”とぴったりで「この企画は私のためにあるようなものだ!」と思って応募を決めました。
──『Denture Adventure』を作るきっかけはどういったものだったのでしょうか?
主演のJoyce Keokhamと、ある映画祭で出会って一緒に映画を作ろうという話になったのが始まりです。「どんな話がいいかな」という話からお互いの家族の話をしていたのですが、そこで思い出したのが、私の祖父の話。祖父は私が幼い頃に亡くなったのですが、ヘビースモーカーで、金歯とヤニの印象が強烈だったんです。すごくいい祖父でしたけどね。で、亡くなったときに、焼けずに残るであろう金歯を母と叔母が形見として持ち帰ろうと思っていたらしいのですが、いざ骨上げになったらその金歯がなくて。子供ながらに「あの金歯はどこに行ったんだろう」と思っていたんです。それを思い出して、金歯をめぐる冒険の映画にしようと思いつきました。
──Joyceさんとの作品作りはいかがでしたか?
すごくよかったです。Joyceはお母さんが香港の人で、いわゆるアジア系。アメリカだと、アジア人の女の子って「優しくて、おとなしい」というステレオタイプがあって、作品でもどうしてもそういう役をあてがわれてしまうことが多いのですが、出会ったときからJoyceにはそういう雰囲気を微塵も感じなかった。生意気というと少し違いますが、覇気があるというのかな、アティチュードをすごく感じて。撮影でもたくさん意見を出してくれました。それはJoyceだけでなく、みんなが「私だったらこうする」とか「私の解釈はこうじゃない」と言ってくれて。チームのメンバーはそれぞれ人種も違えばバックグラウンドも違うから、みんなが意見を出してくれてすごくよかったですね。楽しかった。
──映像の質感や色味も独特で素敵でした。映像についてはどのようなこだわりがあったのでしょうか?
アジアっぽく、かつ懐かしさを感じる映像にしたかったんです。「おばあちゃんの一人暮らしだったら壁紙は花柄だよね」から始まって。ただ、それこそスタッフも人種が違うので「アジアっぽく」と言ってもなかなか伝わらなくて、説明が大変でしたね。でもそれぞれの思うアジアっぽさが出せたので、それはそれで面白くなったなと思います。
──『Denture Adventure』、改めてどんな映画になったと思いますか?
思った以上に心が温まる話になったと思います。最初はもうちょっとコメディっぽくなると思っていたんです。でも完成してみたら、優しくてかわいいストーリーになって。それはもう、俳優のおかげ。特に最後のシーンは二人ともセリフがないのですが、表情がすごくよくって。本当にすごい演技で、自分でもよく撮れたなと思います。このシーンに限らず、こんな素敵な映画になったのは、俳優みんなの演技のおかげです。
──「MIRRORLIAR FILMS」のコンセプトは「だれでも映画を撮れる時代の幕が開く」ですが、そもそもAzumi監督が映画を撮り始めたのはどういった経緯だったのでしょうか?
私は雑誌のライターをしながら、広告やミュージックビデオのプロデュースをしていたんです。映像のプロデューサーをしながら、ずっと“監督のほうが楽しそうだな”と思っていて。でも映像の監督になるのって、日本だと有名な監督に就くとか、テレビ局やプロダクションに入って……とかが必要で、何年もかかるじゃないですか。だけどニューヨークだと「私、映画監督です」「ディレクションできます」って言ったその日からできちゃうんですよ。それこそ“だれでも映画を撮れる時代”に便乗した形ですね。私は、映画自体はものすごく好きだけど、映画制作について学んだわけではないから、技術的なことを言われてもさっぱり。それでもこうやって映画を撮れるというのはすごく良い時代だなと思います。
──「ニューヨークだと」というお話が出ましたが、日本よりもアメリカのほうが気軽さを感じますか?
日本で映像の仕事をしたことがないのでわからないですが、おそらくアメリカのほうが気軽だと思います。特に私の住んでいるブルックリンは、映画を作りたい人たちによるコミュニティがあって。撮りたくてたまらない映画監督がいて、出たくてたまらない俳優がいる。だから「明日、暇?」みたいな感じで気軽に撮れるんです。
──そんな“だれでも映画を撮れる時代”の中で、Azumi監督は今後どのような作品作りをしていきたいと思っているのでしょうか?
アメリカでは、思っている以上に日本的なものやアジア的なものが新鮮に映るみたいで。『Denture Adventure』で描いている若返るというストーリーも、日本だったらよくある設定じゃないですか。でもアメリカでは珍しい発想らしくて「すごい!」と言われるんです。あとは金歯も新鮮だそうで。私も日本にいたときは日本的なものにそこまで魅力を感じていなかったのですが、日本を出るとすごくクールに感じるようになって。この日本人的な視点、アジア人的な視点を生かして、今後も作品作りをしていきたいなと思っています。
INTERVIEW
──監督作『point』の着想源を教えてください。
日常の中で「言葉というものはそんなに重要ではないんじゃないか」と思う瞬間があって。言葉の通じない二人が通じ合っていくさまを描くことで、人と人が関わるにあたって本当に必要なものは何かということが見えたらいいなと思ったことが始まりです。
──そもそも「言葉というものはそんなに重要ではないんじゃないか」と感じたのはどういうところからですか?
海外など言葉が通じないところへ行ったことですね。言葉がわからなくても、表情や雰囲気で言いたいことや人柄がわかるんですよ。対して、言葉が邪魔をしてそれらが感じられない瞬間もある。日本語同士でも「元気?」って聞いて「元気、元気!」と答える、その顔が元気じゃないことってあると思うんですけど、そこに気付くことが大切で。そう考えると、人とコミュニケーションを取る上で、本当に大切にすべきは言葉ではないのではないかと思うようになりました。俳優という仕事をする上で、“まず感情があって、それを補足するように言葉が出る”という感覚を持っていることも影響しているのかもしれません。
──阿部さんは今回、監督だけでなく脚本もご自身で手がけられました。初の脚本執筆はいかがでしたか?
今話したようなことは、初めから思っていたわけではなく、どういうものを作ろうか考えている中で、「ロードムービーいいな」「言葉が通じない二人はどうだろうか」と出てきたもので。“これを表現したくて映画が撮りたい”という、制作にあたっての衝動があったわけではないんです。だから脚本を書く前に、自分を掘り返して、何が出てくるかという作業をしました。その結果、出来上がった脚本には自分が詰め込まれているなと感じました。自分が感じていること、思っていることしか表現できないとは思っていたのですが、それらを詰め込める限り詰め込めたと思います。
──『point』は中本賢さんとサンディー海さんが主演を務めています。お二人の現場での印象はどのようなものでしたか?
中本賢さんは一度共演させていただいたことがあるのですが、「中本」と書いて「人情」と読むんじゃないかと思うほど人情味のある人。だからこそクールな役をやってもらいたかったんですよね。というのも、最初にお話したように「言葉じゃない部分が大切だ」ということを伝える作品にしたかったので、今回の役は内側に感情がないと成立しないんです。その点で、クールですが、中本さんの愛情や熱がしっかりと映像に焼きつけられているんじゃないかと思います。サンディー海くんも、オーディションのときから優しさがにじみ出ていて。当初はもう少し自己主張の強めな役を想定していたのですが、彼の人間性を生かして演出も変えました。いい役者を揃えると、映画は勝手によくなるんだなというのを感じましたね。脚本は机の上で書いているものなので、生身の人間が演じるに当たって肉付けされてどんどん一体になっていく感覚で。本当に役者には助けてもらいました。
──『point』、ご自身ではどんな作品になったと思いますか?
うーん、どうなんだろう。脚本を書いているときは「面白くしなきゃ」という気持ちがあって、もっといろいろなことを盛り込んでいたんですよ。伏線を張ってみたり。でももともとは瞬間的な、ほんの一瞬の出会いを描いたシンプルなものを作りたかったんです。だから編集のときに、脚本で増えていった尾ビレ背びれみたいなものをほとんど落としたんです。だから当初思い描いていたものには近づいたと思いますけど、映画としてどうかという判断が自分ではできなくて……。でもスタッフから「この作品の長編が見たい」という声ももらったりして、観た人の想像を広げるような作品が作れたのかなとは思います。とにかく、手探りでやったわりには上出来だなと思いました。もっと「くそー」と思いながら編集するんだろうなと思っていたのですが、いい絵もいい芝居もいっぱいあって。初めての映画がこんなにうまくいっちゃっていいのかなと思うくらい。本当にいいスタッフとキャストに巡り会えたなと思います。
──また監督として映画を撮りたいですか?
撮ってみたいけど、撮影自体は大変だったんですよねぇ……。だから、やりたいけどやりたくないみたいな(笑)。今回は僕が思っていることを作品に投影できましたけど、これをコンスタントに作るとなると、枯渇してくると思うし、そうなったときに違う要素を入れられるんだろうかと考えちゃうんですよ。……って、次の作品のことを心配しているくらいだから、また撮りたいんでしょうね(笑)。
──阿部さんは「MIRRORLIAR FILMS」の発起人でもありますが、「MIRRORLIAR FILMS」の手応えは感じていますか?
はい。いろいろなところから反響の声もいただいていますし、何よりもこの企画をきっかけに新しく作品がどんどん生み出されているこの状況が、一番の手応え。武正晴監督もこの企画に参加したことで「初心を取り戻した」とおっしゃっていて、そういう体験を生み出せたのもよかったなと。映画業界にとって、起爆剤とはいかなくとも、一つの刺激になれたのではないかと思います。「阿部も撮ったんだから自分も撮れるんじゃないか」と思ってもらえたらうれしいですね。
INTERVIEW
──今回「MIRRORLIAR FILMS」に参加した理由を教えてください。
今回出品した『King & Queen』はThe 48 Hour Film Projectがやっていた「Stuck At Home 48HFP」という企画で作ったもの。そこで作った作品は、世界中の映画祭に出品していいということだったので、「MIRRORLIAR FILMS」の公募を見て応募しました。
──『King & Queen』は駒谷さんのご家族がキャストとして出演されています。まずその発想がユニークですよね。
「Stuck At Home 48HFP」は、コロナ禍で企画されたもので、金曜日の夜にお題が出て、48時間内に家の中で撮るというものなんです。カメラマンも俳優も外から連れてきてはいけない。うちの家族に演技経験があるわけではなかったのですが、弟の嫁さんが演技経験のある人で。僕がYouTubeでやっている「映画かよ。-Like in Movies-」という動画シリーズに、一度出てもらったら本当に演技ができる人だった。それを思い出して、義妹が中心にいれば、うちの家族の演技がどんなにヘンテコでもできるかもと思いました。うちの家族は、演技はヘンテコですが、やる気だけはあって(笑)。以前、僕が作ったミュージックビデオに母が出たことがあるのですが、そのときも張り切りすぎてほかの俳優さんが引くくらい(笑)。「いつか家族で映画を作って、それが映画祭とかに出たら面白いんじゃないかな?」と思っていたこともあるので、今回チャンスだと思って、家族に声をかけました。
──しかもゾンビ映画で。『King & Queen』の着想はどこからだったのでしょうか?
家の中で撮るとなると、ドタバタコメディかゾンビ映画かなと思って。演技がてんでダメな父親や弟にも出てもらうなら、ゾンビかなと決めました。
──義妹さん以外は演技経験がなかったとのことですが、実際に撮ってみてご家族の反応はいかがでしたか?
「こんなふうに出来上がるんだ!」と素直に感激していましたね。みんな撮影中に映像を確認したいという欲もないし、僕も僕で時間がないので「お母さん、このセリフ言って」と演出しながらちゃっちゃか撮っていって。全部終わって、家族ですき焼きをしながら完成したものを観ました。「お父さんが倒れるシーンはこうやって見えたのか」とかみんなで話しながら。
──監督ご自身が特に好きなシーンを挙げるとしたらどこですか?
母親が帰宅して家の中に入ってくるシーンです。撮っている最中は思わなかったのですが、振り返ると、母親の訳わかんないキャラが助けてくれたなという気がしていて。特に帰宅してドアの中に入ってきたシーンは、母親が完全にゾンビを信じきっているという、狂気のようなものが自然に演技に出ている。それによってこの世界観が作り出されたなと思います。この映画は最初から妙なシチュエーションだと思うのですが、あの母親の変なキャラクターのせいで、見ている人もあの世界に連れていかれるんじゃないかなと。僕は何も演出していなかったので、母親の演技に助けられた場面でしたね。
──演技経験がないということが予想外の効果を生んだんですね。
はい。あと、今回僕がやりたかったことの一つに、“おなかの子どもにセリフを言わせる”ということがありまして。当時、義理の妹が妊娠していたんです。だったら、おなかの子供にもセリフを言ってもらおうと思って、最後にあのシーンを用意しました。僕の中では、おなかの子供がセリフを言った映画として映画史に刻んだ気持ちです。ちなみにその子は、無事生まれて、今は元気に育っています。
──「MIRRORLIAR FILMS」のコンセプトは「だれでも映画を撮れる時代の幕が開く」です。演技経験のないご家族をキャストに迎えたり、YouTubeで動画シリーズ「映画かよ。-Like in Movies-」を公開し続けたりしている駒谷監督はまさに、“だれでも映画を撮れる時代”を体現していますよね。
はい。まさに僕も“みんな映画撮ればいいのに”という気持ちなんです。僕は映画の勉強をしにアメリカへ行って、日本のCM制作会社に勤めて……と、はたから見るときちんと段階を踏んでいる一方で、それこそ素人の家族と映画を作ったりしている。映画が好きなら、その気持ちだけで撮ってみればいいのにと思うし、映画好きの友達にも日頃から言っているんです。でもみんな「自分にはできない」と言う。でも、「映画かよ。-Like in Movies-」も、なるべく時間をかけずに撮ろうと思って、ロケ地も撮影しながら決めるし、カメラマンも立てずに僕が撮っているんです。カメラにマイクを付けただけのちょっとした機材で。それでも映画は作れるんだよと思っています。
──完成した作品が映画館で上映されるのと、YouTubeで観られるというところに、気持ちの面での違いはありますか?
もちろん映画館で上映してほしいし、映画館で観たいという気持ちはあります。ただ、まずは作ったからには観てもらいたい。例えば東京の映画館で1週間限定での上映というように限られるよりは、YouTubeでいつでも観られるというほうがよかったりもして。だから最近は映画館の上映にこだわらずに、なるべく観てもらえる環境に出すことが一番かなと思っています。とはいえ「映画かよ」も、例えば人気エピソードベスト10を映画館で上映するみたいなことができたら面白いかなとかも考えていますし。そのためにも、当面は「映画かよ」を起動に乗せて、知名度を上げていけたらと思っています。
INTERVIEW
──今回「MIRRORLIAR FILMS」に参加した理由を教えてください。
俳優として、監督さんやプロデューサーさん、カメラマンさんなどクリエイターの方々と関わっていく中で、俳優としての視点以外の視野から作品を見てみたいと思うようになっていて。そんなときに、今回の企画のお話を聞いたので、ぜひやってみたいと思い、参加しました。
──実際に挑戦してみていかがでしたか?
最初は正直「やらせてもらえるんだったら、やってみたい」という軽い気持ちだったのですが、だんだんプレッシャーを感じてきて。一番プレッシャーを感じていたのは脚本ができるまでの期間。いろいろ詰め込んでしまって、脚本の中に余白が作れなかったんです。でもいろんな監督さんとお話をしていく中で「初めての今だからこそ自由にやれるんだよ」「余白があるほうが面白いよ」「好きなことやりなよ」と言ってもらって。そこからは、少し気が楽になりました。脚本ができてからはプレッシャーもなくなって、楽しくやろうと思えるようになりました。
──その結果、『愛を、撒き散らせ』は余白の多い映画になりましたね。
はい。今回、題材として取り扱っているのは“命”。命に対しての価値観って人それぞれで、その考えは他人に強要するものではない。この映画では、それぞれの命に対する価値観を尊重したいと思ったんです。否定もしたくないし、何かを訴えかけることもしたくない。あくまでも物語として、「こういう人もいるよ」という見せ方をしたかった。そう思ったときに、いろいろな想像ができるように余白は作っておきたいなと思いました。
──主演に板谷由夏さんを起用したのはどうしてですか?
『愛を、撒き散らせ』のまりさんは普遍的な人であってほしかったんです。儚さもあるけど、それは自ら出してほしいわけじゃなくて、背負っているものみたいな形で見えたらいいなと。板谷さんとはこれまで2回お仕事させていただいたのですが、共演する中で、本当にいつも笑顔で素敵な方なのですがふとした瞬間に儚さと言いますか、悲哀みたいなものを感じて。それでいてまったく飾らなくて、生き様や佇まいがすごく美しい方なので、「まりさんは板谷さんしかいない」と思いました。
──板谷さんとはどのようなやりとりをされましたか?
演技についてはほぼ話していないですね。僕は女優・板谷由夏さんがものすごく好きで信頼していたので、むしろ僕の手を入れたくなかったんです。板谷さんがこの脚本を読んだときに感じたものを尊重してほしかったし、表現してもらいたかったので、僕の想いを詳しく説明することはせず、委ねたところが大きかったです。
──『愛を、撒き散らせ』、ご自身ではどんな作品になったと思いますか?
自分では何十回、何百回と観てもどんな作品になったのかわからないですけど、先ほど言ったように、僕はこの映画で何かを伝えたいわけではまったくなくて。まりさんの生きる道を見てもらいたい、ただそれだけで。「こういう人がいて、こういう生き方があって、こういうものの捉え方があるんだよ」って。確かに、僕自身にとって“否定されないこと”ってすごく大事なんです。そういう意味では「それぞれの思いを受け入れる世の中になってほしいな」という願いはありますけど、だからといって、この映画でそれを伝えたいわけではないです。あとは賛同して一緒に作ってくれたスタッフさんとキャストさんが「やってよかったな」と思う作品になったらいいなと思っています。僕が言うのはおこがましいですけど、「この板谷さんが素晴らしい」と話題になってほしいし、「このカメラマンさんいいな」「この照明さんいいな」など、この作品に携わったみなさんの次の仕事に繋がることをただただ願っています。
──監督業自体は楽しかったですか?
とても楽しかったです。またやりたいですね。僕はこの業界を生きてきて、仲間や先輩、後輩……今までたくさんの人に救われてきました。その人たちの魅力的なところを僕は知っているから、それを最大限に引き出したいなって。そういう意味では「この人でこんな作品を撮りたいな」というストックはいくつかあって。タイミングが合えばやってみたい、そういう気持ちが今は芽生えています。
INTERVIEW
──今回「MIRRORLIAR FILMS」に参加した理由を教えてください。
山田孝之さんという、俳優でありプロデューサーのお誘いを受けたからです。正直、山田さんでなかったら、多忙な時期とも重なり引き受けていなかったかもしれません。今は「引き受けられて良かった」「挑戦できて良かった」と心から思います。
──映画を撮ってみたいという気持ちはもともとお持ちだったのでしょうか?
はい、ありました。以前から、自分の楽曲の作詞をしたときに浮かんできた世界観を映像で表現できたら、とは思っていました。その時たしか絵コンテも作っていました。絵が絶望的画伯系なので誰かに見せても全く伝わらない私の脳内模様でしたが。ただこう見えて、特にその時代は積極的に周囲に自分がやりたいことを言えない時期だったので、思うだけで叶わずでした。
映画監督についても実は周りの監督陣にも相談というかヒアリングはしていました。彼らがどのようにして映像を撮るようになったのか。その多くが「良いプロデューサーを見つけること」という答えでした。私は今回素晴らしいプロデューサーたちと出会うことができました。その出会いに心から感謝しています。
──監督作『巫.KANNAGI』の着想はどのようなところからだったのでしょうか?
糸口としては、自分自身が生きてきた中で感じたこと+社会にある様々な課題に対して問題提起できるようなものを作りたいという想い。そこから親交のある北村龍平監督に原案依頼をし、ご快諾いただきました。それにさまざまな肉付けをしていき、自分の描きたい形に落ち着いたと思います。自分自身の生き方とも通じるのですが「自分の力ではどうしようもないものと対峙する姿」が描かれています。
──キャストとして、しゅはまはるみさんを起用された理由と、撮影での印象を教えてください。
プロットの段階から彼女の姿が脳裏にあり、脚本ができるほどにその姿が明確になっていました。「しゅはまさんに断られたら、一度作られてしまったイメージをまたイチから作らねばならない……」とドキドキしていましたが、お引き受けくださりとてもうれしかったです。
──同様に、矢部俐帆さんを起用された理由と、撮影での印象を教えてください。
矢部さんはオーディションで出会いました。初めは物静かな物腰で「どんなお芝居をされるのかな?」とうかがっていたのですが、演技が始まるとその場の全員が引き込まれ、感情を抑えるのが大変なくらいでした。そのくらい求心力があり、真心があり、よく勉強してらっしゃるなぁという印象でした。
──本作には柴咲さんも出演されていますが、ご自身が出演する上で意識したことはどのようなことでしたか?
初めは違和感、そして最終的には物語のガイド者のような立ち位置に見えるといいなと思っていました。
──ご自身の監督作に、ご自身が俳優として出演するというのはどのような気持ちでしたか?
特に違和感はなかったです。今回監督としてその場に居ることがとても心地良く、背伸びもせず、純粋に「カット」「OK」と発することができていました。作品によってはモニターで自身の姿をチェックすることもあったので、それと特に変わりなく出演もできていました。それも、とにかく素晴らしいスタッフの方たちに恵まれたからこそだと思います。ただ、思ったのは「役者って大変」ということでした(笑)。次また監督する機会があるなら、出演しないほうが絶対的に気が楽です。
──撮影時や制作過程で、印象的だったエピソードがあればお聞かせください。
プロデューサーの伊藤(主税)さんがマスクの上からコーヒーを飲んだこと。
柴咲組は私の意思を尊重してくれて、撮影前には全員で瞑想を行い、心を整えました。ゴミも極力出さない現場を皆で目指してくれました。こういう思いやりの深いチームで撮影できたことがとてもありがたかったです。また、今回は時間の流れの中で美術の“汚し”が重要だったのですが、美術のお二人が瞬時に動いて“汚し”をかけてくれる。そしてまた“before”の状態に戻してくれる。魔法のようでした。
──『巫.KANNAGI』、ご自身ではどんな作品になったと思いますか?
ご覧いただく方それぞれに、何らかを問いかける作品になってくれれば良いなと思います。
──今回の監督としての経験は、その後の俳優業に何か影響をもたらしていますか?
撮る側の意向をもう少し汲み取ろうと思うようになったと思います(笑)。
──今後もまた映画監督はやりたいですか?
はい。今回、初監督を経験し「あれ? なんで今まで監督に挑戦しなかったんだっけ?」というような気持ちになるほどでした。組み立てる作業がとても好きな私には本当に監督業が違和感なく、一言で言うととてもしっくりきたのです。
──短編映画の魅力はどんなところだと思いますか?
短い中で描かれていることを吸収・咀嚼しようと、とても集中して、余すことなく観られるところだと思います。
──『巫.KANNAGI』の制作において、短編映画だからできたこともしくは、短編映画だからこそ意識したことがあれば教えてください。
「迷いなくそぎ落とすこと」「描きたいことを簡潔に」。この二点は自然と意識していたように思います。
──「MIRRORLIAR FILMS」のコンセプトは「だれでも映画を撮れる時代の幕が開く」です。“誰でも映画を撮れる時代”だからこそ、今作を作る際に意識したことなどはありますか?
“誰でも映画を撮れる時代”だからこそ、自分にしか撮れないものを探ったと思います。映る側としての感覚があるということは、俳優陣の不安や懸念点なども理解できるので、彼らが今役に集中できているか、というのは気を配れたのではないでしょうか。役者さんがピタッとハマれているかどうか、その観点を持ち続けるのは大切にしたいことの一つです。
INTERVIEW
──『適度なふたり』は着目点がすごくユニークですね。この作品の着想はどんなところからだったのでしょうか?
この作品は、もともとヨーロッパ企画の映画祭のために作ったもので。劇団の21周年を記念した映画祭だったので、「21にまつわる5分以内の映画」というのがテーマだったんです。そこでいくつかプロットを作って、いろいろな人にどれが面白いかを聞いて、“21”を温度にする話に決まりました。
──『適度なふたり』には永野宗典さんと藤谷理子さんが出演されています。この2人を起用した理由を教えてください。
ヨーロッパ企画の俳優さんを起用してもいいというお話で。永野さんと藤谷さんにやってもらったらすごく面白くなりそうだなと思ってオファーをさせてもらいました。このお二人でラジオもやられていて、お二人の掛け合いがすごく良いなと思っていたんです。
──お二人との撮影はいかがでしたか?
お二人が持っている根本的な優しさが、人の触れ合い方や距離の取り方ににじみ出ているなと思いました。あと、舞台での演劇と映像でのお芝居って、せめぎ合いのようなところがあると思うのですが、それについておふたりと話し合って作っていくのが面白かったです。コメディだから、振り切ろうと思えばもっと振り切れるけれど、リアリティも大切にしたかったので。ボケてるんだけど、ボケてると捉えられたら冷めちゃうじゃないですか。コントではなくて、あくまでもあの夫婦の日常生活として見せたかった。あとは永野さんと藤谷さんの良さを殺さないことも大事にしたかったので、そのさじ加減を探っていくのが面白かったですね。
──『適度なふたり』は5分という短さも特徴的です。お題の一つだったということですが、5分の映画を作るというのは難しかったのではないでしょうか?
はい。5分の中でどんなことができるのか、“超短編”と呼ばれる小説を読んだり、5分くらいの長さのCMを見たりして、どう落とすのか、もしくは落とさないのかについては研究しました。5分以内の映画を作るというヨーロッパ企画の映画祭に参加するのは2回目で、前の作品はかなり放り投げたというか……オチのない映画を作ったんです。だから今回はオチのあるものに挑戦しようと思って。もう1つ、自分にとっての挑戦が、回想とボイスオーバーをたくさん使っていること。僕はこれまでに8本映画を撮っているのですが、あるときから回想やボイスオーバーを使わなくなっていて。でも今回は説明的になってもいいから使ってみようと思って、多用してみました。
──どうして使わなくなっていたのでしょうか? 柴田監督としては、本当は使いたくない?
はい、本当は使いたくないです。回想とボイスオーバーって、何かを説明するために使うものですが、映画なら本来は映像で表現すべきことだと思うんですよね。
──でも『適度なふたり』ではあえて取り入れてみたと。実際、取り入れてみていかがでしたか?
圧倒的に観ている人に伝わりやすくなるなと思いました。1本目のときは、観ている人に理解してもらうというよりも、自分が作りたいものを作るということを優先して作ったのですが、2本目では自己紹介的な気持ちは一旦置いておいて、お客さんにどれだけ伝わるかを意識して作ったので。今回はあえて極端に多用したのですが、それによって見えてきたこともあって、これからはうまく使い分けていけたらと思っています。わかる人にだけわかる映画にはならないようにしたいですね。
──「MIRRORLIAR FILMS」のコンセプトは「だれでも映画を撮れる時代の幕が開く」です。柴田監督はこの“誰でも映画が撮れる時代”というものをどう捉えていますか?
僕が映画を作り始めたときはギリギリ、まだ誰でも映画が撮れなかった時代でした。その後、だんだん機材が安くなって、誰でも撮れる時代になってきた。僕はたまたま映画の学校に通っていましたけど、そうじゃない人も作るようになって、様々な角度から映画が作られるようになってきたなと感じます。いろんな人と戦っていかなきゃいけないという危機感もありますけど、刺激でもあって。YouTubeでの広がりも含めて、楽しみだなと思っているところです。それこそ『適度なふたり』も少ない予算、少ない機材、少ないスタッフで撮っていますし。
──そんな中で、柴田監督は今後どういう作品作りをしていきたいと思っているのでしょうか。
僕自身は映画が好きで、映画業界に入って、映画を作っているので、映画ならでの表現やメソッドは大事にしていきたいですね。その中で新しい可能性は探っていきたいですが、軸は変えずにいたい。
──今作はコメディですが、基本的にコメディ映画が作りたい?
「コメディが作りたい」と言うと絶妙に違うのですが、自分が作った映画でお客さんをナイーブな気持ちにさせたくないという気持ちがあって。自分が見るぶんには泣ける映画も好きですが、自分が作った映画では「面白かった」という気持ちになってもらいたい。僕自身、子供の頃に、落ち込んでいるときに面白い映画を見て救われた経験があって。僕が作る映画はそういうものでありたいなと思っています。
INTERVIEW
──『インペリアル大阪堂島出入橋』は監督ご自身の経験が元になっているそうですね。
着想のキッカケは「インペリアルのハンバーグが食べたい」という母親の一言でした。「インペリアル」というのは、私の故郷、大阪の堂島にある洋食店。家族ぐるみで付き合いのあった店で、2代目シェフは私が3歳の頃から遊んでいた幼なじみです。今回、実際に撮影にも使わせてもらいました。施設にいる母親の言葉を聞いて、ひさしぶりにインペリアルに向かったんです。そしたらコロナ禍の影響もあって、街の様子がずいぶん変わっていて。インペリアルには「閉店のご挨拶」という貼り紙がしてあった。閉店したことを知らなかった私は、そのがらんどうのお店を見て胸が締め付けられる思いがしました。そこで幼なじみに連絡をして会ったのですが、「デミグラスソースは残してある」と聞いたんです。55年間、お野菜やお肉、フルーツなどを継ぎ足しながら作り続けてきたデミグラスソースを。その話を聞いて「このソースが光になるのかもしれない」と感じて。お店がなくなっても、このデミグラスソースさえ作り続けていればまた再開できる。そう思ったときに、これをテーマに映画を作ろうと思いました。
──撮影も実際の「インペリアル」でおこなったんですね。
そうです。クレジットの特別協力のところ、「インペリアル」の下に「川口耕平」という名前があるのですが、それが幼なじみです。映画に登場するハンバーグも撮影時のお弁当も作ってくれました。幼なじみだけでなく、地域全体が私のことを知ってくれているようなところだったので、故郷と原点で一緒に作ったような感覚ですね。
──後半の、佐藤浩市さん演じるレストランの店主が店を出てからのシーンは、11分40秒におよぶワンカット撮影だと伺いました。
はい。この道のりの中で彼の人生を描きたかったので。撮影が止まってしまうと、人生も終わってしまうと思った。「この人生は死ぬまで止まらない、止めたくない」という想いで、ワンカットにしました。最初、脚本を読んだ浩市さんには「無理だよね?」と言われました。浩市さんは映画作りのことをよくわかっているからこそ、街中の窓ガラスに私たちスタッフの姿が映り込んだり、いろいろな場所にある街灯によって私たちの影が映り込んでしまったりすることを懸念して「プロの仕事としては無理だよね」と。しかも長い道のりを歩く中で人生を感じさせないといけないわけですから至難の業だ、と。自分は「この作品に関しては機材やわれわれが写り込んでもいい。この男を通してこの街が見えて、男の人生が店を出てからどこまで続くのか、続かないのか、それが見たい。浩市さんとならできる」そう思って、ワンカット撮影をお願いしました。
──覚悟を共有したと。
はい。撮影の日の「このカットに関しては、何が起こっても止めません。もちろん命に関わる何かが起こったら止めますけど、それ以外は止めません。誰かが転んでも止めません」「どうしても絶対に止めないんですね?」「止めません」というやりとりをしてからの浩市さんの神々しさたるや。長い時間静かに集中されていて。あれだけのキャリアがある方が、こんなにピュアな姿で本番に挑もうとしてくださっているんだ、と。その姿は本当に美しかったです。撮影ではそんな浩市さんの繊細なお芝居を見ながら、「信号OK」「セリフOK」「下元さん、和田さん、OK!」と一つ一つクリアしていって。最後に「OK!」が言えたときは、本当に心が大きく動きました。いろんな偶然も重なって……映画の神様はいるのかもしれないと思いました。やはり、浩市さんとこのメンバーだからこそ、できたんだと思います。
──今作は私小説的な作品ですが、このような作品が出来上がってみて、気持ちは普段と変わりますか?
観ていただける方に「届けたい」という意味では今までと変らないですが、今回、自分の原点を見つめる事ができましたし、非常に映画的な現場になったのではないかなと思います。私の仕事は、作品と役者とスタッフを全力で信じる事から始まります。今作の主人公が、家族もお店も最後のお客も失った時に、再生への道標みたいなものを手繰り寄せていく映画になったらいいなとみんなで作りました。だから、この短くささやかな作品が、母がインペリアルのハンバーグを食べて喜んだように、観てくださった方にとって、心のハンバーグのような存在になれば嬉しいなと思います。
──「MIRRORLIAR FILMS」のコンセプトは「だれでも映画を撮れる時代の幕が開く」です。映画監督として第一線を走っている三島監督にとって、この「だれでも映画を撮れる時代」はどういうものだと感じていますか?
正直言うと、誰でも映画が撮れると、私は思っていなかったりします。もちろん物理的には撮れますが、私自身「本当に映画になっているのか?映画ってなんなんだろう」ということはずっと自問しています。ただ、映画というものは、撮りたいものがある人が撮りたいものを撮ればいいとは思っていて。そういう意味で、今回「MIRRORLIAR FILMS」があったからこそ、私なんかも、とてもパーソナルな映画を撮ることができたんだと心から感謝しています。
──先ほど「届けたい」という想いで映画を撮っているとおっしゃっていましたが、コロナ禍において映画が担う役割はどのようなものだと思いますか?
コロナ禍に限った話ではないのですが……阪神・淡路大震災のあと避難所を取材させていただいたときに、ある被災者の方が、映画や落語といった文化を「自分たちにとっては心の命綱だ」とおっしゃったんです。その言葉が私にとって指針であり、心の支えになっていて。自分たちにやれることは映画を作ることしかないですし、映画は私にとっても命綱だったので、いつか誰かにとっての心の命綱になったらいいなと作り続ける事にしています。
INTERVIEW
──今回「MIRRORLIAR FILMS」に参加した理由を教えてください。
私も中で『タイトル、拒絶』(20年)で、映画監督としての一歩を踏み出させていただいたという気持ちがあって。同時に映画監督としては自分の作家性を大事にしたいという気持ちも芽生えてきたので、ショートフィルムという場所で実験してみたいなと思って参加しました。
──『煌々』の着想はどんなところからだったのでしょうか?
私は、自分の得意としているものと好きなものが割と乖離している人間なんです。得意とするものは、セリフで魅せるなど、いろいろな要素を足し算したもの。でも自分自身は、引き算したものというか……繊細な世界観に惹かれることが多くて。好きな監督でいうと、ツァイ・ミンリャンやイ・チャンドン。今回はショートフィルムという実験できる場所でもありますし、得意なものでなく、自分の好きなものを作ってみたいと思い、脚本を書いていきました。
──まさに『煌々』は『タイトル、拒絶』やこれまでの山田監督の舞台のイメージとはずいぶん違って驚きました。
そうでしょうね(笑)。でも私からしたら、俳優に求める表情だったり、人間の根底の部分はどの作品も同じだと思っていて。ただ今回は、俳優への委ね方が今までとは違いました。
──それはどうしてですか?
それが“実験してみたかったこと”だったから、ですね。片岡礼子さんと細田善彦くんに、共犯者になってもらったんです。舞台は稽古が1カ月くらいあって、俳優の生活も背負う感覚なのに比べて、映画はスケジュールがタイトで瞬発力が勝負。人としての対峙の仕方は一緒ですが、俳優がこれまでに積み重ねきた過程や考え方を信じるという作業が、舞台よりも大きくなってくるんです。
──今回、監督が大きく委ねた主演俳優は、片岡礼子さんと細田善彦さん。現場でのお二人はどんな印象でしたか?
剣道部と柔道部みたいな2人。礼子さんが柔道部で、細田くんが剣道部です。礼子さんはすごく動物的な方なんです。感覚も鋭くて、人と関わろう関わろうとしては、そのぶん傷ついたり疲れちゃったりする。でもそうすると自分が止まってしまうのがわかっているから、とにかく物理的に体を動かそうとする。それがすごく柔道部っぽいなと思いますし、そんな人だからこそ私はすごく礼子さんのことを信じられるんです。対する細田くんは、自分の信念が体の芯にまっすぐあって、物事に対しても芯の部分からまっすぐに向き合える人。そういう意味で、二人は違うジャンルの武道家だと思っています。
──撮影時に印象的だったエピソードがあれば教えてください。
細田くんの演技で泣きました、私が。というのも、細田くんが涙を流すシーンがあるのですが、私は細田くんが泣くのを想定していなくて。それこそお任せしていたので。あとから聞いたら、「泣くだろうなと思っていたらやっぱり泣いた」と言っていました。で、私は細田くんが泣いたのに引っ張られてギャボ泣き(笑)。カットをかけたあとに「ここはこうして、あそこはこうして」と言いたいのに、泣いていて何も言えなくて。礼子さんも泣いているし、細田くんも泣いているし、私も泣いているしで、異様でしたけど、良い現場だなと思いましたね。
──そんな『煌々』、改めてどんな作品になったと思いますか?
変な後味が残る作品だなと思います。最初にイメージしていたものとどんどん変わっていったんですよ。当初、ラストシーンはオレンジ色で、逆光を受けて俳優の顔が見えないというのを想定していました。でも実際に撮影したらピンクがかった映像になっていて。すると、ちょうど“あの世”と“この世”の狭間のように感じて。それを見て「ああ、別の解釈になるな」と思ったんです。でも“委ねる”と決めた時点で、当初の予定から転がっていくのはアリにしようと思っていたので、結果、意図していたものとは違う不思議な作品になったなと思います。
──俳優だけでなく、景色や自然にも委ねたと。
そうなっちゃいましたね。俳優に委ねるつもりしかなかったんですけどね。ただ、委ねるだけ委ねた結果、自分の手癖とは全く違うものができたということで、自分の可能性や幅を感じることができたので、それは今後の作品作りに生かしていきたいです。
──「MIRRORLIAR FILMS」のコンセプトは「だれでも映画を撮れる時代の幕が開く」です。舞台で活躍している山田監督は、この“だれでも映画を撮れる時代”をどのように見ていますか?
コロナ禍を経て、舞台の人がめちゃめちゃ映像に来たんです。それをどう受け止めますか?と聞かれたら……ポジティブでもあり、ネガティブでもあります。というのも、私が最初に映画を撮り始めたのは、自分の演出に新しい血を入れたいと思ったことがきっかけで。映像を作ったその先に何が見えるかを知りたかった。その結果、めちゃめちゃに打ちのめされたんですが。でも映像のプロの方と一緒に作っていくことはすごく勉強になったので、そういう意味では、気軽に映像が撮れる・チャレンジできるということは、すごくポジティブなことだと思います。一方で、そこから自分の血肉にしていくには、ちゃんと向き合っていく必要があって。だからラフに関われる……まさに“誰でも映画を撮れる時代”ではありますけど、このあと4年後、5年後にどれだけの人が映像に残ってくれているかなというと……頑張らないといけないなと思いますね。私も、舞台から来た一人ですから。
SEASON 3
DIRECTOR
INTERVIEW
──今回『MIRRORLIAR FILMS』に参加した経緯を教えてください。
とあるご縁から『MIRRORLIAR FILMS』に誘っていただきました。好きなものを作っていいというのが魅力的で。本来、映画ってそういうものであるはずであるとは思うのですが、実際に「好きに作っていいですよ」と言われることってあまりないので魅力的だなと思い、参加させていただきました。
──SNSでも「暗めの題材をやることが多いのですが笑、今回ちょっとテイストが違います」と書かれていましたが、今作は確かにポップな作品ですよね。
以前にもオムニバス映画に参加したことがあって、そのときに感じたことも加味しつつ、尺が短くて、描けることがそこまで広くない短編は見やすさも考えると明るいほうがいいかなと。
──そんな、今までとは違うテイストの監督作『可愛かった犬、あんこ』はどのようなところから着想を得たのでしょうか?
脚本は、「ぴあフィルムフェスティバル」の同期で、映画『21世紀の女の子』でも一緒になったのが縁で仲良くなった首藤凜さんにお願いしました。プロデューサーの佐藤慎太朗さん、首藤さんと3人で「どういう話にしようか」と打ち合わせをして、「家族の話はどうか?」と話していたら首藤さんが犬が亡くなるというアイデアを出してくれて。その中で何を描くかを話し合って、作り始めました。
──テイストの違いは、首藤さんとの共作だからこそということも影響していそうですね。
していると思います。私は脚本も自分で書くことが多いのですが、そうするとどうしても自分の世界観だけで進んでいく。それがいい場合もありますけど、今回はせっかくだから共作してみたかったので、首藤さんの視点が入って面白かったです。
──主演は奈緒さん。井樫監督が奈緒さんとお仕事するのは今回が初めてですよね。ご一緒する前の印象はどのようなものでしたか?
すごくフラットな方という印象でした。いい意味で癖や色がないので、一風変わった役も素朴な役も自分のものにしていて。いろいろな姿になれる方という印象でした。
──実際にお仕事してみていかがでしたか?
私はお芝居について、そこまで細かく指定するタイプではないのですが、最後の走るシーンでは「最初はちょっと楽しくなって走り出すんですけど、だんだん戻らない家族の形に想いを馳せるようにしたいんです」とお話をして。お芝居をしていただいたら、一発で絶妙な表情を見せてくれて。吸収力がものすごいというか、頭で考えているだけでもない。感性と計算の両面を持ち合わせている素敵な方でした。あとカメラに映ったときにすごく輝くんですよね。もちろん普段から素敵なのですが、カメラに映ったときに全然違うものがあって。そのギャップには驚きました。ぜひまたご一緒したいです。
──妹の春役は優希美青さん。優希さんの印象はいかがでしたか?
優希さんは以前もご一緒したことがあって。暗い役を演じることが多いのですが、素の彼女はちょっと変わった子で、彼女なら春のぶっ飛んだ感じを素でできるんじゃないかと思ってオファーしました。奈緒さんと優希さんは、NHK BS時代劇「赤ひげ」にふたりとも出演していたのですが同じシーンはなかったらしく念願の共演だったそうで。人見知りの優希さんに、奈緒さんがフレドリーに話しかける形で、ふたりがコミュニケーションをとっていました。私はそんなふたりを「どんな話をしてるんだろう」と遠くから見ていました(笑)。
──『可愛かった犬、あんこ』、改めてどんな作品になったと思いますか?
絶妙なバランスの作品ですよね。コミカルなところはありつつ、最後はちょっと余韻の残る感じで。観ていていろいろな感情を出せるような作品にしたいと思っていたので、実現できたかなと思います。今後の作品にもポップなシーンやコミカルなやりとりなどは取り入れていきたいなと思いました。
──「MIRRORLIAR FILMS」のコンセプトは「だれでも映画を撮れる時代の幕が開く」です。井樫監督は、“誰でも映画を撮れる時代”というのは実感していますか?
そうですね。私はTikTokをよく見ているのですが、今の若い子たちの中には自分たちで撮影も編集もできる子がいっぱいいる。しかもセンスも良い。海外ではiPhoneで撮った映画が映画館で公開されていたりもして。賛否両論あるのもわかりますが、個人的には間口が広がっているということはすごく良いことだなと思っています。
──“誰でも映画を撮れる時代”に、井樫彩監督は今後どのような活動をしていきたいと考えていますか?
今後もいろいろな媒体で作品作りがしたいなと思っています。もちろん映画は好きですが、ドラマもミュージックビデオも、それぞれに面白さがあって。それぞれの場所で得たことをほかの場所で活かすことも面白い。時代はどんどん変わっていくので、時代に合った面白いものを作っていきたいですね。
INTERVIEW
──野崎監督にとって、本作『絶滅危惧種』は初の劇場公開作品となりますが、今回どのような経緯で『MIRRORLIAR FILMS』に参加することになったのでしょうか?
もともと山田孝之さんとは、共通の友人を通して知り合っていて。ある日、山田孝之さんと動物園に行ったんです。その頃はすでにサラリーマンを辞めていて、ドラマや映画のプロット作りや脚本協力などを細々とやっていました。少しずつ映像制作に携われるようにはなっていましたが、自分が監督した作品は短編とMV数本だけでした。そんな時に山田さんが「オムニバス映画の企画をやるんだけど」と話をしてくれて。「撮らせてもらえる機会があればやりたいです」とお話ししたら、後日正式に連絡をいただきました。
──『絶滅危惧種』の着想はどんなところからだったのでしょうか?
初めての劇場公開作品になるので、自分の好きなホラーやSF映画の要素を入れ、動物園が出てくる作品にしました。あとは、昔から『学校の怪談』とか、ジュブナイルものが好きだったということもあったので子供が主人公の作品にしました。何より自分が劇場公開作品の監督をするのは初めてだったので、キャストも映画に出るのは初めてという子達に多く出てもらいました。子役キャストは全員オーディションで決めたのですが、僕にとってオーディションをするのも初めてで。特別なことはしていないですが、この体験はかなり記憶に残りました。すごく楽しかったので。
──主役・遠藤君役の平野虎冴さんは、オーディションではどのような印象でしたか?
オーディションではクールな印象で、そんなに笑いもしなかったので「僕のこと見透かされてる?」って感じがして少し怖かったです(笑)。もしかしたら、その時点でもう役になりきっていたのかもしれないですが、その感じが遠藤君のキャラに合っていたので、最初のオーディションで既に「遠藤役は平野君だ!」って思っていました。また、今回は緊張してうまくしゃべれなくてもいいから自分の言葉で伝えようとしてくれてる子が心に残ったので、その子たちに出演してもらいました。
──子供たちとの映画製作はいかがでしたか?
とても楽しかったです。自分の中では特に演技指導はほぼしていなくて、流れだけ伝えて、変に緊張させる空気を作らないようにということに一番気をつけました。子供たちがノリノリで撮影に挑んでくれて、すごく助けられましたね。平野くんをはじめ今回出てくれた子が、これをきっかけに、もっと芝居をやりたい、映画を作りたいと思ってくれたらうれしいし、せこいですが、さらに売れてくれたらうれしいです(笑)。たとえちょっとしか映っていなかったとしても、登場人物の一人ですから。
──『絶滅危惧種』、ご自身としてはどんな作品になったと思いますか?
初めての劇場公開作品で、自分の“好き”をたくさん入れられてすごく良かったです。何せ15分のうちの1分半を動物の映像に使っていますからね。動物たちがただご飯を食べたり寝ているだけの映像が続くので、困惑する人もいるかもしれません(笑)。もちろんこのシーンに意図はありますけど、「動物がいっぱい出てきた!」と思うくらいでちょうどいいです。ちなみにあのシーンで出てくる、ベアードバクのアグアさんやオカピのキィァンガさんは高齢なんです。だからこそ映像として個人的に残しておきたかったというのもあります。しかも映画館の大きなスクリーンで流れるわけですから。ベアードバクやオカピを大きなスクリーンで観るためにも、この映画を映画館で観てほしいですね。
──『MIRRORLIAR FILMS』のコンセプトは「だれでも映画を撮れる時代の幕が開く」です。今回が初の劇場公開作品となった野崎監督は、この“だれでも映画を撮れる時代”をどう捉えていますか?
ほぼ実績のない僕が今回劇場公開作品を撮ったことで、「なんだこいつ」って思っている方もいると思うんですけど……経験がなくとも、どんどんいろんな人が撮れる方が楽しいです(僕が言うなって感じではありますが)。
自分は周りの人達に助けられていると常々思っています。
まず一人でこのような映画を作ることなんて当たり前ですができないですからね。
他力本願も大事だなと思いました(笑)。そもそも映画って、例外はあるとはいえ、基本は一人で作るものじゃなくて、色んな人達が集まって生まれるものですしね。これからも、自分ができることをみんなと楽しく突き詰めていきたいと思います。
──今回のプロジェクトに参加したことで、今後の作品作りに変化や影響はありそうですか?
そうですね。長編映画の一本目は大人が主人公の割と地に足のついた作品を作りたいと思って、脚本を書いていたのですが、今回『絶滅危惧種』を作ったことでやっぱりホラーとかジュブナイルものも作りたくなっちゃいました。今回やってみて大変なこともありましたが、それでも「また撮りたい」と思えたのは自分にとっても良かったです。
INTERVIEW
──林監督は一般公募枠での参加となりますが、今回『MIRRORLIAR FILMS』に応募した理由を教えてください。
このプロジェクトに、最初から参加が決まっていたのは名の知れた俳優と映画監督の方々。だからこそ、おこがましいですが普段から仕事として映像を作っている僕は、“刺せる”映画を作って、この企画に応募して選ばなれないといけないと思ったんです。このプロジェクトには様々な意図があるかと思うのですが、僕のような普段から映像を作っている人を焚き付ける意味もあるんじゃないかなと。そういう意味でも面白い企画だなと素直に思いました。あとは下克上を起こす気持ちもありましたね、だからあのキャスト陣を揃えて。「とにかく僕の作品を見てほしい」と思ったのが本音です。
──主演は吉村界人さんですね。
吉村界人さんは、公私ともにすごく仲の良い、親友と言えるくらいの仲でして。彼は俳優としていろいろな作品に出ていますが、彼に似合う役が他にももっとあると思っているんです。だから吉村界人主演三部作を撮りたいと思って、2020年に彼主演の『情動』という作品を撮って。その2作目がこの『そこにいようとおもう』です。
──「吉村さんにこういう役を演じてもらいたい」というところから派生したところもあるんですね。
そうですね。でも着想点としては実体験が大きいですね。そして、作品を作ろうと思ったときに、まずこのタイトルが出てきました。
──“そこにいようとおもう”という気持ちが、林監督の中にずっとあったということですか?
いや、普段はそこまで思っているわけでもないですし、言いたかったわけでもないはずだったのですが……僕自身、地方出身で、今34歳で未だに売れていないのにある種まだ夢を追っていて。出来上がった作品を見ると、吉村界人さんが演じてくれた学という役は、自分の想いがすごく投影されているなと思いました。
──林監督だから見せられる吉村さんの魅力はどういうところだと考えて、キャスティングされましたか?
彼の持っている繊細さが僕と少し似ている部分があるかなと。僕自身話をしているときは我が強くてすごく明るいやつと思われがちなのですが、実際は「今、こういう動きをしたからこういう感情なのかな」「ここでこう言う行動を取るのなぜなんだろう」など、心の中で人の細かい感情の機微を考えすぎてしまうようなところがあって。その繊細な感じが、吉村界人さんなら更に強く出せるんじゃないかなと思いました。
──基本的に写っているのは学ですが、学は受け身。演じるのはすごく難しそうですよね。
難しかったと思います。吉村界人さんの芝居が良かったというのは勿論なのですが、あの3人だから出せた空気感なのかなとも思います。
──同級生役の須賀健太さん、和田颯さんですね。このおふたりのキャスティング理由はどういったものだったのでしょうか?
脚本が出来上がった時点でと吉村界人さんと話をして。須賀さんは、『獣道』(17)で界人君と共演していて、和田颯さんは「配信ボーイ ~ボクがYouTuberになった理由~」(18)で吉村界人さんと共演していて、仲も良い。この3人ならリアルにあの空気感が出せるんじゃないかと思いました。
──須賀さん、和田さんの現場での印象を教えてください。まずは須賀さんから。
とても良かったです。この作品は毎回ワンカットで撮っていて、2日間ずっと同じ芝居をしてもらっていたんです。僕は車の外にいて、車の中には3人と、運転手役の村田秀亮さん(とろサーモン)の4人だけ。2日目にすごく納得のいったカットが撮れたのですが、後から聞いたら、そのカットを撮り終えた瞬間に車内で須賀さんが「監督がやりたかったのは、多分これだと思う」と言ったそうで。須賀さんはお芝居もさることながら、空気を“感じる”力を強烈に持っている方だなと思いました。
──和田さんはいかがでした?
彼もすごく良かったです。「自分は俳優じゃないから……」という気持ちが少なからずあったかと思いますが、すべてをスポンジのように吸収してくれる素晴らしい表現者だと思います。あとはやっぱりスター性がありますね。ただ……須賀さんも和田颯さんもあんまり写ってないからファンの方に怒られないか心配ではありました…。
──そんなことないと思いますよ。須賀さん、和田颯さんは声だけのお芝居になるので、吉村さんとは別の難しさがありそうです。
そうですね。2人も2人で、かなり難しかったと思います。よく演じ切ってくれたなと思います。
──『そこにいようとおもう』は、前後も観てみたくなるというか、長編も期待してしまうような魅力がありました。
ありがとうございます。実はそこはけっこう意識していたポイントでもあって。バックボーンの設定を丁寧に細かく作りました。「小学校はここで、中学校は3人共同じで、野球部は何回戦負けで」など。基本ワンシチュエーションだし、設定がリアルじゃないと嘘になっちゃうと思ったんです。3人には“演技”じゃなくて、“芝居”をしてほし買った。言い換えると、テクニカルにこなすのではなく、魂を乗せてほしかった。そんな風に思っていました。
──吉村さん演じる学の表情が絶妙で、何を考えているのかわからないからこそ引き込まれていきました。
ありがとうございます。お話も編集も所謂ドラマチックな事にしたくなかったという想いがあって。僕はフランス映画が好きで、ああいう映画が日本にもっとあってもいいんじゃないかと思っていたので、基本カットも割らずに、音楽も入れず、事件もそこまで起きず、芝居だけで見せるという表現にしてみました。
──今回、一般クリエイター枠に選ばれましたが、映像作家としての今後の展望も教えてください。
僕はTVCMやドラマなどの仕事もさせていただいていますが、最後は映画の為と思っています。前作『情動』は第15回田辺・弁慶映画祭にて審査員特別賞を受賞出来まして、今作『そこにいようとおもう』が『MIRRORLIAR FILMS』に選出されました。映画の神様がいるなら、まだもう少し映画をやってもいいって言ってもらえた気がして。だからこれからも自分の信じる映画を創っていきたいと思っています。
INTERVIEW
──最初に、今回「MIRRORLIAR FILMS」に参加した理由を教えてください。
最初にお話を聞いたときに、得体がしれないなと思う一方で、「何かお祭りになりそうだな」と思ったからです。何か面白いことを挑みあうような夢の匂いがした。それと、僕はゴジゲンという劇団を主宰しているのですが、なかなか劇団員を自分の映像作品のメインで出てもらうことができなくて。今回は自由につくっていいということだったので、「劇団員が真ん中で撮れるなら、やります」というのがきっかけでした。
──『サウネ』は閉店するサウナの最終営業日を舞台にした作品です。ご自身のSNSでも「サウナが好きすぎて」と書かれていましたが、サウナのどういうところに魅力を感じていますか?
誤解を恐れずに言うと、サウナにいる人ってみんな諦めているように見えるんですよね。その空間が落ち着くんです。東京で仕事をしていると、みんな「俺が先だ! 俺が先だ」って肩に力が入っている感じがするのですが、サウナではみんな壁を見てぼーっとしていて。そういう人たちを見ていると「頑張らなくていいんだよ」と思えるし、「今みんな『頑張らなくていいんだな』って思っているんだ」と思うと何だか安心できます。もちろん、身体的な心地よさもあります。
──そしてサウナの映画をつくったと。
はい、長編でつくりたいくらいでした。
──サウナのどのようなところにドラマ性やストーリー性を感じますか?
正直、ドラマは別にないんです。単純に、何かに悩んでサウナに行って、サウナでぼーっとして、出るときに「まぁいっか」となる。それだけでいいんです。この「MIRRORLIAR FILMS」の9作品の中にも、そんなちょっとほっとするような作品があってもいいんじゃないかなと思いました。
──それこそ『サウネ』の始まりにはオムニバス作品を意識したセリフがあって、ニヤリとしました。
ありがとうございます。作品が連なっていくと、観ている人は感情が振り回されていくじゃないですか。そんな中で、ちょっと肩の力を抜く幕間のような役割を担えたらという気持ちもあって……どんな並びになるかも決まる前に、やってしまいました(笑)。
──オムニバス作品ならではの遊び心ですよね。
僕は映画だけじゃなくて、舞台やドラマ、ミュージックビデオなどいろいろな作品を作らせてもらっていて、それぞれに違った面白さがあるんです。だから今回も、短編映画を作ることよりも、9本のオムニバス映画に参加するということが一番楽しみだったんです。
──先ほど「劇団員を真ん中にしていいなら撮りたいと思った」とおっしゃっていましたが、その中で今回、善雄善雄さんと奥村徹也さんのおふたりをメインキャストにした理由を教えてください。
もごもごしたヤツと、飄々(ひょうひょう)としたヤツがいいなと思っていたので、組み合わせも含めてこの二人がいいなと。あとサウナって裸だから、風呂場やサウナにいてもどういう職業の人かわからないじゃないですか。
背景の不明瞭さというか。大学生にも、ちゃんとした大人にも見えるような人がいいなと思ったのも理由にあります。
──善雄さん、奥村さんは普段からサウナに行かれる方なのですか?
僕は、奥村にサウナを教えてもらったんです。奥村と、熱波師役の最強がもともとサウナが好きで、彼らに教えてもらって僕も行くようになり、今では劇団員のほとんどがサウナ好きな、サウナ劇団です。
──そのほかのキャストにも、磯村さんやマキタさんといったサウナ好きが集まりましたね。
サウナ愛の話にしたかったので、サウナ愛のある人に出てほしくてお願いしていきました。おかげで説得力も増したんじゃないかなと思います。
──サウナでの撮影はいかがでしたか?
幸せでしょうがなかったです。普段は撮影を一生懸命頑張ったあとに行く場所なのに、そんなところで撮影ができるなんて。しかも撮影をしたサウナがカプセルホテル付きのサウナだったので、撮影中はみんなでそこに泊まったんです。撮影をして、撮影が終わったら時間で割ってみんなサウナに入って、寝て、起きて、撮影するっていう。本当に幸せでした。
──「MIRRORLIAR FILMS」のコンセプトは「だれでも映画を撮れる時代の幕が開く」です。「だれでも映像作品がつくれる時代」の中で、松居監督が作品をつくる上で意識していることや大切にしていることはありますか?
だれでも、という意味では、何か一つは自分が0から1で思いついたものを視覚化する、ですかね 。10分間の映像があったとして、9分50秒くらいがものまねでも別に良いから、10秒だけはどうしても自分がやりたかったことを入れる。その一瞬の連なりが“自分の表現”に繋がっていくから。今回の『サウネ』という造語もそうですが、僕は、“この世に言語されていない感情を表現して連れていく”ということを 大事にしていて。今までに出会ったことがない感覚……「うれしい」とか「楽しい」とか「悔しい」とかじゃない、まだ言語化されていない 感覚が人間にはあると思うんです。そういうものを体感できるのが、映画や舞台だし、僕の作品だと思っています。
INTERVIEW
──村岡監督は一般公募枠での参加となりますが、今回『MIRRORLIAR FILMS』に応募した理由を教えてください。
僕の本業は俳優なのですが、コロナ禍で舞台の仕事が4カ月なくなってしまいました。その時期にマネジャーから、芸術文化活動支援事業「アートにエールを!東京プロジェクト」で動画作品を募集していることを教えてもらって。いつか舞台化か映画化したいと思っていた村岡家の実話があったので、それでつくったのが今回の『家族送』です。作品を見たマネジャーから「いろいろなところへ出品してみたら?」と言われて、『MIRRORLIAR FILMS』の「だれでも映画を撮れる時代」というコンセプトに共感して応募したという経緯です。
──マネジャーさんから「映像をつくってみたら?」と言われたということは、もともと映像作品をつくってみたいという気持ちはあったのでしょうか?
舞台では演出をしたり、脚本を書いたりしていたのですが、「映像も作ってみたい」という気持ちは全くありませんでした。ですので今回が本当に初めての映像作品で。お恥ずかしい話、本当に知識はゼロだったので、編集の仕方はYouTubeで学びました。このために初めてMacも買ったんですよ。さらに……実は『家族送』は全編iPhoneで撮影しています。しかもiPhone SE2です。(笑)
──温めていた題材であるとおっしゃっていましたが、家族葬をテーマにした実話を作品にしようと思ったのはどうしてですか?
コロナ禍で、とある著名な方が亡くなったときにご遺族の方がお葬式で見送ることができなかったというニュースを見て。死がこんなに近い距離にあるものなのだと改めて感じたのと同時に、コロナ禍では今までの見送り方ができない現実があると知りました。そんな中で、「こんな見送り方があってもいいんじゃないか」と伝えられたらと思って、今、この作品をどうしても出したいと思いました。
──実際に、コロナ禍でお葬式に参列できなかったという方は多いでしょうしね。
そうなんです。だから、おこがましいですけど、そういう方がこの作品を見て少しでも気持ちが楽になっていただけたらという思いもこめています。いろいろ言いましたけど、単純に、観て楽しんでもらえたらいいなと思っています。
──出演者は村岡監督のご家族です。その発想はどこからですか?
うちの家族は、父が陶芸家、母が彫刻家、姉が造形作家とそれぞれ変わった職業で。「せっかく家族で変なことをやっているなら、いつか家族で何かできたらいいね」ということは以前から話していたので、これはチャンスだなと。それで「表現村岡家」というユニットを作って、第一弾として今回の映画を撮りました。
──ご家族の反応はいかがでしたか?
表現に携わっている人たちなので、家族はみんなノリノリでした。大変だったのはプロット作り。当たり前ですが、家族は、実際に家族葬をしたときの当事者で。母が当時つけていた日記をもとにプロットと絵コンテを作ったのですが、三人が「違う!こんなもんじゃない!」「こんなしっとりするもんじゃないのよ。本当に怒涛だったんだから」って(笑)。おかげで家族みんなが納得するものを撮れたのでよかったですけど。何より、撮り終わったあと、家族みんな「楽しかった」と言ってくれたのがうれしかったです。両親には「こんな親孝行をしてくれてありがとね」とも言われて。ある意味、2回目の気持ちの整理にもなったのかなと。渦中にいたときは、悲しみよりも大変さのほうが先行していたと思うのですが、ふとしたときに悲しみはやってくる。それを、今回の作品作りを経て、少しでも軽くできていたらいいなと個人的には思っています。
──今回が映像作品の初監督となりましたが、いかがでしたか?
面白かったです。もちろん大変なこともありましたけど、今まで僕は映画には出演したことしかなかったので、監督としての目線も知ることができて。映像をつくるのも、舞台をつくるのと一緒で、本当に面白くて素敵なことだなと感じました。
──今後も監督として映像作品を作りたいと思いますか?
はい。実は家族がすっかり映画にハマって「2作品目撮らないの?」と言うので(笑)、神奈川県主催の「バーチャル開放区2021」に表現村岡家の2作品目『家族写新』という作品を出品して特別賞をいただきました。今は「3作品目どうする?」という話をしているところです。表現村岡家としてでなくても、今後もこういう機会をいただけるのであればぜひ挑戦していきたいです。ただ映像の技術をYouTubeでしか学んでいないので、今後も作らせていただく場合はちゃんと勉強したいです。とりあえずiPhone13Proは買いました(笑)。
──冒頭で、監督ご自身も「MIRRORLIAR FILMS」の「だれでも映画を撮れる時代の幕が開く」というコンセプトに共感したとおっしゃっていましたが、そんな時代だからこそ、村岡監督が作品作りで意識したことはどういったことでしたか?
それこそ自分がつくることになって、「YouTubeと映画の違いって何だろう」とか「テレビと映画の違いは何だろう」とか、配信の時代になった今の動画の位置付けを考えるようになりまして。いろいろな表現方法がある中で、出る側にしろ、作る側にしろ、自分ができることを考えたときに、僕は“映画的な映画”が好きで、そういうものを作りたいんだなということに気づいたんです。何が“映画的な映画”かはまだ言語化できていないですが、自分の感じる“映画的なもの”というのは大切にしたいなと思いました。あとは本当に、僕が今回iPhoneで撮ったということを知って「自分も挑戦してみようかな」と思う人が一人でも増えたら、今回選んでいただけたことに少しでも恩返しができるんじゃないかと思っています。
INTERVIEW
──監督作『沙良ちゃんの休日』の着想はどのようなところから得たものだったのでしょうか?
“若めの女性と割と年齢のいった男性が歩いている。一定の距離を保って歩いていて、ふとしたときに前の人が立ち止まって、ふたりの立ち位置が入れ替わって女性が前になる。しばらく歩いて、また何かで止まる。それによってまた男性が前になる”。この絵のイメージが数年前からあって。『MIRRORLIAR FILMS』が動き出したときに、このイメージを作品にしようと思い、「このふたりはどういう関係なのか」「どこに向かっているのか」を考えながら脚本を書いていきました。最初はこのふたりの関係に答えを用意していたんですよ。
──例えば、親子とかそういうことですか?
そうです。でも、答えがない……というか、男性と女性での答えが違うほうがいいなと思った。その結果、男性は女性のことを自分の娘だと勘違いしていて、女性はただ変な人に出会ったと思っているという関係性になりました。
──その絶妙な距離感がこの映画の魅力ですよね。女性キャストとして南沙良さんをキャスティングした理由を教えてください。
『ゾッキ』(20)という作品で南さんとご一緒させていただいていたのですが、そのときの目がすごく良くて。その目の印象が強く残っていたのと、ほかの表情も見てみたいと思ってお願いしました。
──『沙良ちゃんの休日』で実際にほかの表情をご覧になってどう感じられましたか?
“南さん”だったと思います。自然なお芝居……「お芝居」と言うのもアレだけど、南さんとしての表情を収められたんじゃないかな。
──対する男性キャストは紀里谷和明さんです。
男性は色気がある方が良いなと思っていたら、最初にパッと紀里谷さんが思い浮かんじゃって。そのあとにほかの方も考えてみたんですけど、もう紀里谷さんがいいなと思っちゃいました。カッコいいし、色気がある。目力というか、目があったときのグッと引き込む力もすごくて。もう紀里谷さんしかいないと思いました。
──紀里谷さんのお芝居はいかがでしたか?
素晴らしかったです。でも紀里谷さんはお芝居をすることにとにかく照れていましたね。その照れを紛らわせるために、南さんやスタッフさんとずっとしゃべっていて。その結果、現場の空気を作ってくれたのも紀里谷さんでした。あとは、監督としてずっとやってきている方なので、カットがかかったあとにモニタを確認したがるんですよ。でも僕はそれを絶対にさせたくなかったので、一度も見せなくて。でも見せないと「どうだった?」と聞いてくるから、そのたびに「めっちゃ良かったです」「カッコよかったです」と言って。そしたら「そういうのどんどん言って!」と言うので、撮影の準備が整うたびに「紀里谷さん、めっちゃカッコいいっすよ。よーい、スタート!」と言うようになって。南さんはそんな僕たちを微笑ましく見てくれていたと思います。もしくは「このおじさんたち、何をやっているんだろう」と思っていたかもしれない。
──紀里谷さんから、『沙良ちゃんの休日』の感想などは言われましたか?
数日前に、紀里谷さんから「観たよ」と感想が送られてきました。意外にも褒めてくれて。俺は「ふふっと笑えたらいいな」くらいの、シュールなものをつくろうと思っただけだったのに「素晴らしかった」と言ってくれてびっくりしました。うれしかったですね。
──脚本は小寺和久さんとの共作です。
小寺くんとは、僕が初めてプロデュースした作品『デイアンドナイト』(19)で共作して。僕が主演を務めたドラマ「全裸監督 シーズン2」でも小寺くんが脚本で入っていて、単純にまた小寺くんと一緒に作りたいなと。小寺くんと脚本を作るの、すごく楽しいんですよ。キャッキャ笑いながら作っていて。監督として現場にいるときは「うれしい」という感情で、脚本を作るのは「楽しい」です。
──「監督として現場にいるときは『うれしい』」についても詳しく教えていただけますか?
僕がなぜ今「よーい、スタート」をかけられるかというと、キャストさんがみんなオファーを受けてくれて、衣装合わせも済ませて、マネージャーさんたちのご理解もあった上でスケジュールをあわせて現場に来てくれて、役を作ってセリフを覚えてくれたから。スタッフの皆さんが、ロケ地を借りたり、撮影許可を取ったりしてくれて、お弁当を用意してくれたから。それを僕が最前列、一人目のお客さんとして見ている。そう考えると、本当に「うれしい」「ありがとう」という気持ちしかないです。
──俳優も監督も、楽しくてやっている?
そうですね。俳優と監督とプロデューサーは、苦労も楽しさも別ですけど、好きだからやっています。歌うことも好きだし、曲を作ることも好きだし、予告編を作るのだって楽しい。広く、表現することが好きですね。まあプロデューサーだけは面倒なことが多いので、できればやりたくないですけど。
──山田さんは『MIRRORLIAR FILMS』の発起人でもありますが、『MIRRORLIAR FILMS』の反響や手応えはどのように感じていますか?
正直、作品に対する感想は重要でなくて。大切なのは、ここに参加した人たちと、観た人にどういう気持ちの変化が起きたかということ。それで言うと、僕が誘った人……シーズン1の安藤政信監督やシーズン2の柴咲コウ監督、シーズン4の水川あさみ監督はみんな「本当にやってよかった」と言ってくれて。その時点でこのプロジェクトは成功です。さらに観た人の中にも「自分も撮ってみよう」と思ってくれた人がいるかもしれないし、「これからはこう生きてみよう」とか「仕事に対してこう考えてみよう」と考え方に変化が起きていたらうれしいですよね。発起人の一人として、本当に良いプロジェクトだと胸を張って言えます。
INTERVIEW
──今回『MIRRORLIAR FILMS』に参加した理由を教えてください。
ぶっちゃけて言うと、頼まれたから(笑)。こういうのって、作り手、今回で言うと監督側に作りたいものがあって成立するものだと思っていて。今回話をいただいたとき、自分の中に15分で表現したいテーマが見つからなかったから、断ろうとしたんです。だけどプロデューサーから「こういうのはどうですか?」と提案してもらったうちの1つに、シングルマザーをテーマにしたものがあって。シングルマザーという存在に対しては、僕もいろいろ考えていたし、それだったら作れるかもしれないと思って参加することにしました。
──「シングルマザーという存在に対していろいろ考えていた」という部分、詳しく教えていただいてもいいでしょうか?
これまでの作品もそうですが、僕の作品はスーパーマンのような特別な何かを持っている人は主人公になっていなくて。たぶん僕は作品を作る上で、不器用な人に寄り添っていきたいという想いがあるんだと思うんです。自分では意識してこなかったのだけど。そういう意味で、もちろんそうじゃない人もいるというのは前提で、シングルマザーがテーマなら僕の手で作品にできるだろうなと思った。これは別の作品のときの話ですが、自殺防止のための動画を作る仕事をしたことがあって。そのときに「人はつらいから自殺するんじゃない。つらいことが引き金ではあるけど、つらさを誰にもわかってもらえないという孤独、孤立が原因で自殺をするんだと思う」という話を聞いたんです。だからこの映画でも「シングルマザーって大変なんだよ」ということを描きたかったわけじゃなくて、ただただシングルマザーの現実を描きたいと思った。みんなが「シングルマザー=かわいそう」と思っているのはおかしいんだよと、それを描くだけでも意味があるんじゃないかと思った。例えば「ご飯行く?」の一言で救われることってありますよね。この映画がそういう映画になればいいなと。
──『ママ イン ザ ミラー』ではシングルマザーの主人公・紀子がラップで本音を吐露します。ラップという手法を選んだのはどうしてですか?
ラップって感情をストレートに出せる手法だと思っていて。だからラップだったらシングルマザーの悩みや葛藤を、理屈っぽくなく、15分でちゃんと描けるだろうなと思って取り入れました。
──紀子役に二宮芽生さんをキャスティングした理由を教えてください。
今回はすべてのキャストがオーディションで。二宮さんはオーディションのとき、アピールするのに空回りしていて、その切羽詰まっている感じがよかったんですよね。ラップのシーンの撮影も、たぶん本人は訳も分からずやっていたんじゃないかな。時間もないし、やるしかなかったから。それがよかったですね。
──最初は断ろうと思っていたとおっしゃっていましたが、『ママ イン ザ ミラー』を撮ってみていかがでしたか?
大変だった。予算も限られているし。うん、大変だったけど、「やらなきゃよかった」とは思わないですよ。そこにはいろいろな出会いがあったし、この映画を撮ったという経験ができたから。僕は人生の面白さって経験・体験だと思っていて。家に引きこもっていたら何も経験できないからね。そういう意味でも、やってよかったです。
──『MIRRORLIAR FILMS』のコンセプトは「だれでも映画を撮れる時代の幕が開く」です。そんな中で、李監督が映画をつくるということに対して意識していることはありますか?
映像作品と一口にいってもいろんなタイプの映像があるでしょ? たとえばキラキラした恋愛映画の椅子は、僕の座る椅子じゃないと思っていて。僕が「お前はこういうものを作りなさい」と言われているのは、さっきも言ったように、不器用な人や頑張っているのに報われない人に寄り添う作品なのかなと。というか、僕自身がそういうものを作りたいと思っている。時代に逆行しているのはわかるし、その椅子はもう用意されていないかもしれないけど。でももし用意されているとするなら、そういう椅子なんじゃないかな。好きな言葉があって。パオロ・ジョルダーノというイタリアの作家の言葉で、彼は自分の文学作品に対して「僕は、人間に寄り添い、人生を慈しみ、人間の尊厳を回復する」と言っているんです。僕の作品もそうでありたいなと思っています。
──今回のプロジェクトでは、初めて映画監督をした人が参加していたり、公募枠が用意されたりと、若手映像作家への門戸も広く開かれています。李監督が映像作家さんを目指している人にアドバイスをするなら、どんな言葉をかけますか?
映像作品と言ってもいろいろあるので、物語作品に限定して話をしますね。映像で物語を撮ろうとするなら、「人への興味を持ちなさい」ということですね。僕自身もやっと気づいたことなんですけど、「この人は何でこんな行動をしたんだろう」「何で傷ついているんだろう」……それを考え続けることが物語を作る上で一番必要なことだと思う。例えば撮影の最新技術を持っていたとしても、時間が経てば古くなっていくわけで。「すごい技術を持っている人」として椅子が用意されていたとして、「あいつのほうがすごい技術を持っている」と言われちゃうと終わりだから。それよりも、大切なのは物語の本質だと、僕はそう思っています。
INTERVIEW
──今回「MIRRORLIAR FILMS」に参加した理由を教えてください。
僕が役者を始めたキッカケは、“映画が好きだから映画のことをもっと知りたい”という気持ちから、いろいろな角度から映画を勉強したいと思って、出演オーディションを受けたことなんです。だから、今回監督としてというお話をいただいたときも、監督をやらせてもらえたら、より映画を知るきっかけになると思って参加させてもらいました。僕にとっては、映画作りを学ぶことが目的というか……ずっと学び続けていたいと思っていて。実現させたい長編の企画もいくつかあるので、今回はその第一歩。すごく光栄な機会をいただいたなと思っています。
──監督作『Good News,』の着想はどのようなところからだったのでしょうか?
“嘘をつくこと”についてずっと考えていて。なぜ人は嘘をつくのか。例えば目の前にいる人に、自分の見られ方を操作したくて嘘をつく。それは演じることとどう違うのか。人を騙すこととはなにが違うのか。
詐欺師が名役者になれるかといったら、たぶんそうじゃない。演技は自分の内面に起こっている想いを表現すること、それに対して人を騙すという行為は自分の気持ちではなく、相手の気持ちを導く行為。演技をすることもある種嘘をつくことですが、その2つにも大きな違いがある。しかし、それらのちょうど中間のようなものもあるのではないか。そういうことをずっと考えていたので、いつか嘘をテーマにした映画を作りたいと思っていたんです。
同時に、映画を作るなら“今作るべき映画”を作りたいという想いもあって。コロナ禍になって給付金詐欺が急激に増えてしまっているというニュースを見たんです。その、ニュースを見たときに、自分が考えていた“詐欺師にとっての嘘や演技”みたいなことと組み合わせられそうだなと思った。もちろんよくないことですが、コロナ禍になって実際に増えてしまっているという現状に対して、今この題材で映画を作る意義を感じたんです。ただ、脚本を書いていくうちに、詐欺撲滅を啓発するような映画にするのは違うなと気付いて。というのも、どうしてコロナ禍で詐欺が増えたのかというと、騙されるほうはもちろん、騙すほうも不安だからなんですよね。コロナ禍で仕事がなくなって、いわゆる“高額バイト”に手を出して……みたいな。それってすごく切なくもあり、ある種滑稽で、すごく“人間だ”と思った。予期せぬことが起こるとみんな不安になる。そのこと自体は否定してはいけないなとも思いました。題材は詐欺ですが、今の時代に流れている不安感や、そこから脱却しようともがいている様を映したいと思った。そうやって描きたいものが明確になった途端、脚本も一気に進みました。
──主演は藤原季節さん、夏子さんです。このおふたりのキャスティング理由を教えてください。
コータローは、どこにでもいる男の子。愛嬌があって、少年っぽさもあって。でも先輩のちょっとした一言で悪いほうに転んでしまうような危うさを秘めている。そして疑り深く、自分の感情を素直に出せないミユキと同棲している。脚本を書き終わって「誰がいいんだろう」と考えたときに、もう季節くんと夏子ちゃんしか考えられなくなっていました。季節くんとは仕事はしたことはないけど、飲みに行ったり、何度かお会いしたことはあって。僕は自主映画を除くと今回が初監督だったので、知っている人とやれたらいいなと思ってお願いしました。夏子ちゃんは、お会いしたことはなかったのですが、たまたま観に行った舞台に出られていて魅力的な役者さんだと思っていたので、今回ご一緒できてうれしかったです。
──現場でのおふたりの印象はいかがでしたか?
今回の作品では、嘘をつき合うということがポイントだったので、台本上で本音なのか嘘なのか分かりづらいところが多かったんです。さらに説明台詞もほとんどないので、「どうしてそこで嘘をつくのか」と、その意図をふたりが細かく聞いてくれて。僕も今回はなるべく台詞を変えたくなかったので、一つひとつ説明していきました。話をすると、ふたりともすぐに汲んでくれて、いいキャッチボールをしながら進められました。感謝しています。
──『Good News,』を完成させた今の心境を教えてください。
「もっとこうすればよかった」という反省点だらけですけど……自分の好きな作品にはなったかなと。今回のプロジェクトのコンセプトは「だれでも映画を撮れる時代の幕が開く」ですが、僕はやっぱり、映画はそう簡単につくれないと思っていて。だからこそ面白いんですよね。カメラを回すだけではどうにも映画にならないからこそ、みんな魅せられて研究を続けているんだと思うんです。僕も今回撮ってみて「どうして思った感じにならなかったんだろう」と思った。その気持ちが、自分の今後の表現活動の機動力になっていくんだろうなと思えて。そういう意味でも、すごくありがたい経験でした。あと、「映画はそう簡単にできない」と言いましたが、“映画を撮ろうと挑戦することは誰にでもできる時代”なんだとは思うんです。スマホもあるし、発表する場も多い。だから映画ファンとしてみんなどんどん挑戦していってほしいし、自分もそのなかの1人でありたいなと改めて思いました。このプロジェクトや『Good News,』が、「自分も映画を撮ってみよう」とか「もっと映画を知りたい」と思うきっかけになってくれたらうれしいですね。
SEASON 4
DIRECTOR
INTERVIEW
──今回「MIRRORLIAR FILMS」に参加した理由を教えてください。
山田孝之さんから「こういうプロジェクトをやっている」というお話を聞いて、そのあとに正式にオファーをいただきました。お話をいただいたときに思ったのは「俳優をやっている私がショートフィルムを撮る意義とは何だろう」ということで。そこで、予算が少ないなりに、撮影部、照明部、録音部、美術部……各方面の皆さんのお金を搾取してしまわない現場作りに取り組めるかどうかをMIRRORLIAR FILMSの皆さんと相談させてもらって。一緒に考えましょうと言ってくれたので、参加させてもらうことにしました。
──池田さんが感じた「俳優をやられている池田さんがショートフィルムを撮る意義」とは何ですか?
それこそ現場を整える姿勢を見せること。予算がないからお金がもらえないのが当たり前だとか、予算がないから長時間労働を強いるとか、そういうことはしたくなくて。以前撮った長編『夏、至るころ』('20)の現場でもそうだったのですが、朝早い日は夕方には解散するようにしたし、おいしいごはんも食べながら、ゆとりのあるスケジュールを心がけて。映画を撮る上で、俳優の心が一番大事ですし、技術部の方々の集中力の途切れない現場作りが大事。そういう意味で、誰も搾取しないという現場作りをしているということを示していくことが、今回参加する意義だと思いました。
──『夏、至るころ』の現場でも現場を整える努力をしてきたとのことですが、もともと池田さんは今の映画業界の労働状況や資金面などに問題を感じていたのですか?
はい。疑問に思っていました。それこそ、現場にいると、裏方と呼ばれる人たちの技術が光るんですよね。だけど、私たち俳優部ばかり舞台挨拶に出たり、賞をもらったりする。もちろん、それは私たちのお仕事ですが、現場にいる彼ら彼女らも賞賛されてしかるべきだと思っていたので。
──そんな意義を感じて作られた監督作『Good night PHOENIX』ですが、前作とはテイストが違って驚きました。本作の着想はどんなところからだったのでしょうか?
1作目は比較対象にされやすいので、よくそう言われるのですが、自分では全然そんなことを思っていなくて。ただただ、そのときに書きたいもの、伝えたいことを書いただけ。それが今は、食育や気候危機についてだったというだけです。ずっと「日本では何で報道されないんだろう」と思っていて。でもメディアで発言すると、言葉が強く聞こえてしまったり、誤解されてしまったりするかもしれないという不安もあって、なかなか言えなかった。だから、自分の中に伝えたいこととしてずっとあって、今回この脚本が生まれたのかなと思います。それに、今回はオムニバスで、私の作品だけを目的にしていない人が見るというのもすごくチャンスだなと思って。こういう社会派の作品だと、興味のある人しか見ないと思うのですが、短編のオムニバス形式だったら自然と見てもらえるし、見終わったあとに、映像と登場人物の気持ちだけがなんとなく残っているくらいがちょうどいいなと思いました。
──映像もきれいでアート作品としても楽しめますし、それでいてメッセージはしっかりと伝わってきて。短編映画という特徴を生かした作品ですよね。
そうですね。周りにいろいろな活動家さんたちがいて、熱心に取り組んでいらっしゃるのを見て、自分も何かできないかなとは思っているんですけど、女優としての私を応援してくださっている方からしたら、急に私の思想を押し付けられたら戸惑うだろうなというのもわかっていて。だからMIRRORLIAR FILMSに声をかけてもらったことで、「映画があるじゃん!」「ショートフィルムがあるじゃん!」と思えたのはすごくうれしかったです。
──MIRRORLIAR FILMSのコンセプトは「だれでも映画を撮れる時代の幕が開く」です。そんな“誰でも映画を撮れる時代”だからこそ、池田さんが作品を作る上で意識していることを教えてください。
今まで革命を起こしてきたような監督って、(アルフレッド・)ヒッチコックにしても、ラリー・クラークにしても、ウェス・アンダーソンにしても、革命を起こそうとしてやっているわけじゃなくて。彼らは感性に素直だっただけだと思うんです。それが当時は斬新だった。同じように、今の映画業界においても、ピュアな感性が必要だと思います。“映画とはなんぞや”というものを縛られずに、「私の映画はこうですけど」という態度を示していくことが一番面白いんじゃないかなって。良い映画を撮ろうとすると、いろんな人を参考にしたくなるけど、私は何も参考にせず、好きにやっていきたいですね。そういう意味ではギャルのマインドって大事だなと思っていて。
──「ギャルのマインド」ですか。
うん。「いけるっしょ」「いいじゃん、これ!」みたいな。公開初日の舞台挨拶もギャルを意識した衣装で登壇したのですが、同じことで。「映画監督として舞台挨拶で登壇するときはシックな格好をしなきゃいけない」とか「女性はこうでなきゃいけない」みたいな考え方がすごく嫌で。いろんな女性監督がいていいし、そもそも女性監督に見慣れてほしいという気持ちがある。そういう意味では、私が映画を撮っているということ自体にも意義を感じているのかも。私が派手な格好で登壇すればするほど、いろいろと記事になって、みんなが目にして、女性監督というものに見慣れていくので。とにかく、何が取っ掛かりでもいいので、まずは劇場に足を運んでもらえたらうれしいです。MIRRORLIAR FILMSはオムニバス形式なので、おいしいポップコーンを食べながら“推し監督”を見つけられたら楽しいと思うよ!って。
INTERVIEW
──今回「MIRRORLIAR FILMS」に参加した理由を教えてください。
『BEFORE/AFTER』自体は出品前に作っていたのですが、ちょうど「MIRRORLIAR FILMS」のテーマや尺と合うかなと思って応募しました。
──もともと撮っていた作品だったんですね。
そうです。最初の緊急事態宣言が出たときにほかの撮影があまりできなくなって。芸術文化活動支援事業「アートにエールを!東京プロジェクト」もあったので、何かつくろうかなと思って作り始めました。
──『BEFORE/AFTER』の着想はどのようなところからですか?
リモート映画が増えてきていたので、それ以外の方法で撮れないかなと思っていて。川久保(晴)さんと「何がいいかな」と話をしていたんです。そこで思いついたのが、ドラえもんの「ドラえもんだらけ」というエピソード。のび太の宿題を、ドラえもんが代わりにやることになったけど、一人じゃ全然終わらなくて、数時間後のドラえもんを何人も連れてきて、何とか終わらせるというお話です。それにインスピレーションを受けて、川久保さんに脚本をお願いしました。
──確かに『BEFORE/AFTER』は“川久保さんだらけ”ですもんね。
そうなんです。出演者が一人だったら、ソーシャルディスタンスや密を考えずに撮れるなと。苦肉の策ではありますけど。
──もともとお知り合いで、企画段階から川久保さんと一緒だったとのことですが、GAZEBO監督の思う、川久保さんの俳優としての魅力はどんなところですか?
川久保さんはよくお一人で一人芝居をやっているんです。その一人芝居の一つに、舞台上にラインを引いて、「このラインを超えたら、このキャストになる」みたいな舞台があって、とても面白いんですよ。あとは川久保さんはコメディエンヌになりたいという夢があるので、川久保さんとだったらコロナ禍でも面白いものが作れるだろうなと思いました。
──実際に撮影をしてみての川久保さんのお芝居はどのようなものでしたか?
今回のような一人で何役もやる場面の撮影って、セリフを録音しておいて、それを流しながら撮影をするのが一般的なんですが、川久保さんは相手の声なしで撮影して。それでもピッタリだったのですごいなと思いましたね。普段から一人芝居をやられているからなんでしょうけど、編集していて全然違和感がなくてすごいなと思いました。目線とかもピッタリで。
──予算やスケジュール、人数などが限られている中で、絶対にこれだけは守りたいというこだわりの部分はありましたか?
普段、広告の仕事をやっていることも関係あるからかもしれないですが、“わかる人にだけわかる”というものにはしたくないというのは考えましたね。いつも映像をつくるときに意識していることですが、ほぼ100パーセントの人がわかる内容にしたい。
──監督作『BEFORE/AFTER』はどんな映画になったと思いますか?
正直、最初は作品でコロナを扱うことに抵抗があったんです。2020年当初はコロナの正体もわからない状態だったし、軽々しく扱いたくないなと思っていた。だけど、過去の自分や未来の自分を扱う中でコロナに触れないのも不自然だしと思って入れることにした。その結果、川久保さんの書いてくださった脚本がすごく素敵で、コロナに触れつつも普遍的な内容で。すごくよかったなと思っています。
──ちなみに『BEFORE/AFTER』の内容にちなんで、もし未来か過去のご自身に会えるとしたら、どのタイミングの自分に会いたいですか?
特に会いたい時期はないですが……強いて言うなら、高校生のときの自分。最初に付き合った彼女と手も繋げなかったので、「手くらい繋いでおけ」と言いたいですね(笑)。こんなんですみません!
──いや、素敵なお話です。
本当ですか。だったらよかった……。
──今作はGAZEBOにとって、何作目の映画になるのでしょうか?
3作目です。もともとは映画を撮りたいと思って映像業界に進んだのですが、お金がなさすぎて、CM業界へ行くことにして。でもなかなか監督にはなれなくて製作を10年くらいしていました。ひさしぶりに映画を撮るようになったのは2019年。知り合いのプロデューサーから「短編映画を撮れる監督を探している」と言われて始めました。
──ひさしぶりに撮って「やっぱり、映画は楽しいな」と?
そうです。広告で15秒とか、長くても1分くらいの映像を撮っていると、長い映像を作るのが怖くなってくるんですよ。15秒とか30秒でこんなに苦労しているのに、そんなに長いものが作れるだろうか」と思っていたのですが、やってみたらできたので、映画への気持ちが再燃しました。
──では今後は映画ももっとどんどん撮っていきたい?
はい、すでにもう4本目も撮っていて、次は長編を撮りたいです。学生のときからの夢なので、一本は絶対に撮りたい。
──「MIRRORLIAR FILMS」のコンセプトは「だれでも映画を撮れる時代の幕が開く」です。この“誰でも映画を撮れる時代”について、どのように感じていますか?
CM業界でもプロとアマチュアの垣根がなくなってきているんです。会社に所属していなくて個人で作っている上手な人をSNSで見つけてお願いするということもよく聞く話で。もう「プロじゃないから」みたいな見方はされないなと思っています。
──そういう中で、ご自身はどういう映像づくり、映画づくりをしていきたいですか?
僕は自分に才能があるとは思っていなくて。映画祭で上映されている若い監督の作品を見ても「もう敵わないな」と思いますし。そういう中で自分に何かあるとしたら、この業界にずっといるおかげで身についた経験や知識。そういうものを生かしながら、自分にしか作れないものは何かを考えて作品作りをしていきたいなと思っています。
──では最後に、『BEFORE/AFTER』と同じ質問をさせてください。“今、楽しい?”
楽しいです!
INTERVIEW
──齊藤監督は、今回のプロジェクトの前から映画や映像製作を頻繁にされていますが、そもそも俳優をしながら映像監督もするようになったのは、どのようなきっかけからだったのでしょうか?
僕としては「俳優をしながら監督をしている」という感覚ではないんです。俳優から入ってはいますが、そもそも俳優になることが目的ではなかったので、流動的に生きているだけ。僕は写真も撮りますが、どれも「俳優業のために」とか「監督業のために」みたいな想いは特になくて。作品ごとに、作品と自分の関わり方を探しているという感じです。作り手として作品に参加しているときには、むしろ俳優業が邪魔をしているなと感じることもあって。名前を伏せて支援するみたいな形での関わり方もしてみたいなと思っています。
──今作『女優iの憂鬱/COMPLY+-ANCE』はどのような想いから作り始めたのでしょうか?
近年、オムニバス作品って増えていますよね。ただ、まだ日本のお客さんは、短編オムニバスを、座ってしっかり見るということ自体に慣れていないというか、どう受け取っていいか戸惑っている時期だと思うんです。だから僕は「どうせ忘れ去られる」という前提を持って挑もうと思いました。残酷でもありますが、創作者としては、オムニバス映画の中の短編映画はそういうものだと理解しているので。
──そこで今回、齊藤監督が作られたのが、ご自身のリメイク作品でもある『女優iの憂鬱/COMPLY+-ANCE』です。
今回のテーマは「変化」。その中で、“コロナ禍をどう受け止めるか”ということはまさに“変化”だと思って。今日も取材を受けるこのスタジオに入るにあたって、体温を測って、消毒をしましたが、この状況を、作品として置いておくというのは大事だなと思ったんです。数年後振り返ったときに「あの頃、なんだったんだろう」と感じると思うのですが、その違和感を残しておくことは大切じゃないかなと。コロナ禍だけではなく、例えば芸能の仕事をしていない方でも、インスタに投稿する写真を何枚も撮って、その中から見栄えの良いものを選んで投稿しますよね。そういう、表層的なものとその裏側にある使われなかった写真のようなものを描くということが、今のリアルでもあると思いました。
──リメイク作の主演として伊藤沙莉さんをキャスティングした理由を教えてください。
そもそも、この脚本自体が8年くらい前に伊藤さんに当て書きして書いていたものだったんです。半分エチュードのような形で。ただ、そのプロジェクト自体が止まってしまったので、一度、秋山ゆずきさん主演で『COMPLY+-ANCE』という形でつくって。そのときはそのときで着地したのですが、今回このお話をいただいたので、改めて伊藤さんで撮りたいなと思って、お願いしました。
──もともと伊藤さんへの当て書きだったとのことですが、俳優としての伊藤さんの印象はどのようなものだったのでしょうか?
内田英治さんの監督作品『家族ごっこ』(15年)というオムニバスに、僕と伊藤さんは別々の作品で参加したのですが、そのときに「若いけど、すごく老成したベテランみたいな、達人みたいな人だな」と思いました。何が来ても成立させられるし、リアリティを持って存在できる。地肩の強さみたいなものを感じました。その後、僕が監督した長編映画『blank13』(18年)にも出てもらったんですけど、そのときも台本はあってないようなものというか、ほぼほぼエチュードだったのですが、見事に演じてくれて。5年前くらいの話ですが、そのときからずば抜けていましたね。今シーズンはわからないですが、「MIRRORLIAR FILMS」をシーズン3まで見させてもらって、アート寄りの世界観を見せる作品が多い印象があって。その中で、僕はライブ感や勢いのようなものが宿る作品にできたらいいなと思っていたので、そういう意味でも伊藤さんにお任せできてよかったです。
INTERVIEW
──今回「MIRRORLIAR FILMS」に参加した理由を教えてください。
短編映画って、いろいろなことを試すことができるし、新しい表現ができるすごく良いフォーマットだと思うのですが、一方で発表の場などの出口がなかなか見つからないから制作する機会が少ない 。そんな中で、純粋に短編映画を作ることができるというこのプロジェクトは魅力的だなと思ってお受けしました。
──監督作『シルマシ』は「MIRRORLIAR>──監督作『シルマシ』は「MIRRORLIAR FILMS」の話が決まってから作り始めたのでしょうか?
もともと去年撮影した長編映画の準備として共通のテーマで短編映画を撮ろうと思っていて、ちょうど『シルマシ』のような作品を考えていたんです。そのときに「MIRRORLIAR FILMS」の話をいただいて。別のものを作ることも考えたのですが、自分の中で気になっているテーマが含まれていますし、今作る意義も感じました。コロナ禍で人と簡単に会えなかったり、大事な人のお葬式にさえ出られなかったりという状況があって、多くの人が色々な形で生死と向き合ったと思うんです。そんななかで、自然と人間魂の存在 、時空を超える想い等をテーマにして作品にしたかった。『シルマシ』はそういう状況に一筋の希望が見える作品になるんじゃないかと考えて、制作を決めました。
──『シルマシ』の主演は伊東蒼さん。伊東さんの起用理由を教えてください。
過去作の演技が素晴らしかったし、実際に会ってお話ししたときに、自然に対する畏怖のような気持ちをちゃんと持っているように感じて、この人ならこの物語の中に地に足をつけて存在できると思いました。『シルマシ』は台詞が少ないので、この脚本から何を汲み取れるのかということが大事になってくるのですが、伊東さんは僕の意図をしっかり理解してくれていて。この人しかいないなと思いました。
──実際の撮影での印象はいかがでしたか?
素晴らしかったですね。自分は、スタッフもキャストも、言われたことだけをやるのではなくて、そこから返ってくるものに驚きが欲しいと思っているんです。相乗効果で、それぞれが想像している以上のものが出来上がるべきだと思っている。伊東さんは謙虚ながらも、そういったものを返してくれました。例えば、画作りのために「ここで止まってほしい」と話したときに、「ここだと、このシーンに必要な感情に届かないからもう少しだけ近づきたい」ということを言ってくれて。そういう掛け合いができてすごくよかったですね。
──冒頭で「短編映画はいろいろなことを試すことができる」とおっしゃっていましたが、今回、監督の中で挑戦した部分はありますか?
画作りですね。白黒だし、カット数も少ない。4:3の画角で撮ったのも初めてで。今回、白黒でどう映るかということをすごく考えながら、撮影監督と綿密に相談してロケーションや撮影時刻を決めましたし、狙いを明確にして撮っていきました。
──白黒で撮るというのは、アイディアとして先にあったのでしょうか?それとも、この作品を考える中で「これは白黒のほうが良い」と思ったのでしょうか?
後ですね。この作品が先にあって、撮影監督が決まってから、彼と相談して白黒にしようという話になりました。この作品で目指したのは、タイムレスな世界観。「いつの時代のどこかは分からないけれど、何か懐かしい」という雰囲気を目指したので、白黒で撮ることで場所や時間をより曖昧にできると思いました。
──『シルマシ』、改めてどのような映画になったとご自身で思いますか?
うーん……難しいですが。この映画は、遠野物語の続編みたいなものに記された一節をベースに作った作品で。「亡くなる人が、亡くなる前に何か知らせを届ける」というストーリー自体は聞き覚えのある話だと思うのですが、こうやって映像になることってあまりないのかなと思っていて。シンプルなアイディアで作られた、短編映画らしい短編映画になったかなと。 撮影させてもらった村は過疎化が進んでいて、十年後、二十年後どうなっているのかわかりません。今回あの村を映像に残すことができたことを嬉しく思いますし、村のみなさんに撮影を受け入れてもらえたことに感謝しています。
──海外で映画製作をされている福永監督から見て、日本の映画業界はどう見えていますか?
正直、自分が思う問題点は沢山ありますが、一言で言うと多様性に欠けていると思います。作品の内容もそうだし、作られ方や 、配給宣伝のされ方もそうです。その一つとして、批評が気軽に手に届くところにないということも気になっています。例えばアメリカでは、シネフィルだけではなく誰もが知っている批評 サイトが多数あります。でも日本は、口コミサイトはたくさんありますけど、しっかりと整備された批評サイトはまだ少ない。様々な批評を読むことは、作品そのものだけではなく映画全体の理解を深めることに繋がりますし、オーディエンスを育てるという意味でもすごく大切だと思います。オーディエンスが育たなければ、多様な作品に対する需要も生まれないですし、そういったことも今現在多様性が欠けている要因の一つではないかと思います。
──そんな時代の中で、作品作りにおいて福永監督が大切にしていることはどんなことでしょうか?
それもたくさんありますが、一番わかりやすいところでいうと、何を撮るか。「どう」撮るかより 「何」を撮るか。
自分がやりたいというだけじゃなくて、「自分だからできるんじゃないか」とか「今、これが映画として世に出ることに意味があるんじゃないか」とかいうことを考えて作るようにしています。いろいろな面で、少しでも良い影響があるものを作っていきたいです。
INTERVIEW
──監督作品『名もなき一篇 東京モラトリアム』の着想はどのようなところからだったのでしょうか?
「MIRRORLIAR FILMS」は制作予算が潤沢にあったわけでなかったので、1本10万円くらいで撮っていた頃の自主映画に戻ろうと思ったんです。だから役者さんも若い人がいいなと思って、全員をオーディションで募集して。オーディションで出会った子に当て書きする形で脚本を書いていこうと思ったところから始まりました。最近、自分の感情の中でも青さや、粗さのようなものが鈍くなっている自覚がありました。だからこの機会に、10年前の自分を探すような感覚でした。今回出てくれている6人も全員オーディションで決まった俳優です。
──映画を題材にするとか、10年前くらいのご自身を描くみたいなことも事前には決まっていなかったのでしょうか?
全くなかったです。「何やろうかな、とりあえずオーディションやろう」って。
──では何を基準にオーディションをしたのでしょう?
「若い人たちと作品を作りたい」ということだけは決まっていたので、年齢を限定して、Instagramのストーリーズで、「先着100人だけオーディションします」と投稿して。そこで応募してくれた100人と会いました。そこで全員に「これまでの人生で悔しかったエピソード」を聞いて。その回答だったり、お芝居だったりを見て、今回の6人に決めました。
──その中から若林拓也さんを主役に選んだのはどうしてだったのでしょうか?
彼は前の所属事務所を辞めて、今の事務所に入るまでの期間にオーディションを受けに来てくれたんですよ。「バイトしながら、“自分は何をやってるんだろう”と思っているときに、このオーディションがあったから受けました」って。悔しかったエピソードでは、「今が一番悔しい」という話をしてくれて。それが、10年前の自分の持っていた感情と似ていて、そのときに「よし、この役者に賭けてみるか」と。そこで主演は若林くんでやろうと決めました。
──撮影での若林さんの印象はいかがでしたか?
すごくいいものを持っているなと思いました。撮影は2日間だったのですが、撮影が終わったときにすごく泣いていて。そういう人間の人生に、ちょっとでも手を差し伸べられたのなら、やってよかったなと思いましたね。
──先ほどのお話で言うと、前田旺志郎さんもInstagramを見てオーディションに応募してきたということですよね?
そうです。僕も驚きました。でもやっぱり、オーディションに来たときに芝居がすごくうまくて。インディーズっぽい映画だからこそ、ちゃんとテクニックのある俳優が現場にいると助かるんです。そういう考えもあって出てもらいました。実際、現場でも芝居はうまいし、周りも見えていて、すごく助かりました。
──今回、自主映画のような感覚で若い俳優たちと作品を作ることで、気づきや発見はありましたか?
なかったと言うか、何も変わってなかったと言うか。制作費が潤沢な映画も、低予算の映画も変わらないなと思いました。僕の場合は、10万円で自主映画を作っていたときのチームが、今のチームの母体になっているし、いくら予算があってもいつも「足りない足りない」と言っている。逆に言うと100万円でもいいものが撮れた。“雨降らし”もできたし。機材の制限はあったけど、純粋に「何をつくりたいか」という根っこの部分は昔から変わってなかったです。それを改めて確認する機会になりました。
──結果的に、10数年前のご自身のモラトリアムの経験が題材になったとのことでしたが、今、その頃のご自身を振り返っていかがですか?
相当がむしゃらだったと思いますね。25歳くらいで、自分たちでポスター作って予告編作って、劇場に持ち込んで、興行をしたりもして。当時はとにかく、「売れたい」とか「自分たちを肯定したい」という熱量が突き動かしていたんだと思います。
がむしゃらでした。
──「MIRRORLIAR FILMS」のコンセプトは「だれでも映画を撮れる時代の幕が開く」です。この“だれでも映画を撮れる時代”を藤井監督はどう捉えていますか?
僕、(発起人の)伊藤主税さんに「このコピーはどうなんですかね?」と言ったことがあるんです。確かに、誰にでも映像で何かを表現することはできる。でもつくっている人が、映画というもののハードルを下げるべきじゃないと思うんです。映画の1カット1カットには、監督が生きてきた歴史やカメラマンが磨いてきた技の歴史がある。そういう技が集結したものが映画であるべきだから。それに対して主税さんが「このコピーには、映画をもっと身近に感じてもらって、映画を好きになってもらうという意図がある」と説明してくれたのを覚えています。もちろん、みんなが映画を撮りたいと思うことには肯定的ですけど、「そんなに甘くもない」。その上で、「やっぱり映画っていいな」と思ってもらえたらうれしいですね。
INTERVIEW
──『星ニ願イヲ』は初監督作品ということですが、今回映画を作るに至った経緯を教えてください。
僕は俳優とモデルをやっているのですが、コロナ渦で仕事がなくなってしまって、嘆くよりは背水の陣だと思うしかなかったんです。僕は俳優とモデルをやっているのですが、そこで、僕はもともと映画や映像作品が好きだったので、この機会に映像作品を作ってみたいなと思って始めました。最初は、筋トレする様子をいろんなカメラ割りで撮ってみるという、ストーリー性のないものを撮っていたのですが、物語性のある短編映画を作ってみようかなと思っていた時期にちょうど「MIRRORLIAR FILMS」が作品を公募していることを知って。期限的にも間に合いそうだったし、出品条件の15分というのもちょうどよかったので、これに向けてつくり始めました。
──物語性のある作品を作るのは今作が初めてだったとのことですが、『星ニ願イヲ』の着想はどのようなところからだったのでしょうか?
僕は自分が出たい作品を撮らないと意味がないというのをまず思っていて。というのも、僕は売れていない役者。映像作品に出させてもらう機会があっても本当に1シーンだったりして、自分がやりたいと思う作品に満足に出られていないのが現実で。今36歳なのですが、果たして死ぬまでに自分がやりたい作品に出られるのか?と考えることも多い。そんな中で、自分で作品を作るんだったら、自分が出たい作品を作るべきだなと。
──真壁監督が「出たい」と思うのが、この『星ニ願イヲ』だったんですね。
はい。僕はSF作品がすごく好きなのですが、映像作品だとなかなか出会えない印象があって。「だったら自分でつくっちゃえばよくない?」って。海外はSF作品なんて山ほどあるのに、日本にはあまりない。多分(笑)そういう意味では、空いた椅子でもあるのかなと思いましたね。だから自分が好きで、かつ狙い目なのはSFだ!って。多分?
──実際に撮ってみていかがでしたか?
大変でしたね(笑)。チームとしては役者6人とカメラマンだけ。あとは全部僕が自分でやったので、映画製作のセオリーを知らないぶん自由さはありましたけど、全部力技で。撮影自体はむしろちょっと巻いたくらいだったのですが、そのあとの編集が本当に大変でした。僕、それまでは全部スマホで動画撮影や編集をしていたのですが、このタイミングでパソコンを買って。だからまずパソコンの立ち上げから始まりました。エンドロールのスタッフクレジットに「スペシャルサンクス」として一人名前が載っているのですが、彼は僕にパソコンの使い方を教えてくれた人です(笑)。
──予算やスケジュールなどが限られている中だったとは思いますが、「絶対にこれだけは守りたい」というこだわりの部分はありましたか?
自分で全部やったので、どこも妥協していないんですよね。僕が睡眠時間を削ればいいだけだから。そういう意味では「これだけは」みたいなことも全然考えなかったかな。ただただ僕がつくりたいものを、全力で納得できるまでやって提出しました。もちろん、「もっと勉強する時間があったらもうちょっとCGでこういうことができたかな」とか「追加シーンが欲しかったな」とか思うことはあとあと出てきましたけど、つくっている最中はまったくなかったですね。
──「MIRRORLIAR FILMS」のコンセプトは「だれでも映画を撮れる時代の幕が開く」です。実際に今回初めて映画を作ってみて、この時代をどう感じましたか?
コンテンツが発展して確かに誰もが映画を“撮れる”時代なのかもしれないのですが、実際につくろうと思うとすごく大変で(笑)動画文化は発展しても誰もが“映画”までを“撮る”時代にはならないんじゃないかなと思います。ただ、気軽に動画を撮れるようになったからこそ身近な風景だけでなく多くの人が映画に興味を持ってほしいとか、言ってしまえば映画でなくてもいいから演劇をもっと見る時代になってほしいと個人的には感じています。
──ご自身は、初めて映画を撮ってみていかがでしたか?
「楽しかった」は絶対にありますね。「大変だった」ももちろんあって、「やって良かった」ももちろんあります。実は『星ニ願イヲ』のあとに2作目も作って、現在3作目を作っているところで。映画づくりは今後のライフワークにしていきたいなと思っています。先ほど、僕は今36歳で売れない役者をしていると言いましたが、その“待っているだけではどうにもならない”というフェーズに来ちゃったが故に、映画づくりはやらなきゃいけなかったことでもあるのかなと思うんです。役者として、演劇というものに今後も携わるために、“待っている役者”以外の道の一つが、僕にとっては映画づくりだったのかなと思います。
──今回、作品がクリエイター枠に選出されたことで手応えを感じて、監督業に転向するという考え方もあると思うのですが、真壁監督としてはやはり俳優業は今後も続けたい?
はい。よく聞かれるのですが、僕はあくまでも“監督もする俳優”でいたい。それから……これはちょっと下劣な考えかもしれないですが、知ってもらうための方法の1つという考えもあって。今回も「MIRRORLIAR FILMS」のクリエイター枠に選んでいただいたことで、いろんな人に、自分の名前や存在を知っていただけた。そこから、もしかしたら「この人、役者なんだ。どういう人なんだろう」と、知らないプロデューサーに知ってもらえるかもしれない。ダサいかもしれないですけど、演劇業界の仕事ができなくなるのが本当に嫌で。カッコつけるのは最後でいいかなと今は思っています。
INTERVIEW
──今回「MIRRORLIAR FILMS」に参加した理由を教えてください。
友人である山田孝之が声をかけてくれて、プロジェクトの新たな試みや私自身の新しいチャレンジのきっかけになるかもしれないと思って参加しました。
──映画を撮ってみたいという気持ちはもともとお持ちだったのでしょうか?
まさか自分が監督をするなんて事は全く考えた事もなかったです。
──『おとこのことを』の着想はどのようなところからでしょうか?
脚本の桃井麻矢とは幼馴染であり親友であり会社の仲間であり、普段から色々な想いや思考を共有する部分があるので、私達が日常的に考えている事から桃井が脚本におこしていってくれました。
──主演に窪田正孝さんを起用された理由と、撮影での印象を教えてください。
最初はこの題材でお願いするとは思ってもいなかったのですが、なんせ初めての事が多いので、普段から理解者である彼に演っていただけるなら現場での意思疎通もスムーズなのかなという思いと、お芝居に対する信頼度が高いのでお願いをしました。
──同様に池谷のぶえさんを起用された理由と、撮影での印象を教えてください。
いつ、どの作品でお見かけしても素晴らしいと思う俳優さんです。役の存在を大きくしたり時に無くしたり、いつも無限の表現力で役を生きていらっしゃる印象です。
前半と後半の微妙なニュアンスの違いを出してくださると思ったのでお願いしたいと思いました。
──同様にキムラ緑子さんを起用された理由と、撮影での印象を教えてください。
緑子さんは何度も共演していて、いつも作品や役柄にとても真摯に向き合っている方という印象です。
いつもパワフルかつ声だけでも印象的であり、母性も感じるエネルギッシュさと考えた時に緑子さんにお願いしたいと思いました。
──撮影時や制作過程で、印象的だったエピソードがあればお聞かせください。
とにかく知らないことが沢山あってびっくりしましたし、監督は決断と妥協とアイデアとを三角形にして常に考えている感じでした。
──『おとこのことを』、ご自身ではどんな作品になったと思いますか?
今の想いは存分に込められたと思います。
──今回の監督としての経験は、その後の俳優業に何か影響をもたらしていますか?
作品と自分との距離感がグッと近くなった気がします。
役者が携わっていくよりも前と後の関わり方を知れたので、もっと深く作品とも役とも向き合えるような気がします。
──今後もまた映画監督はやりたいですか? その場合はどのような作品をやってみたいか希望や構想もあれば聞かせてください。
希望や構想は今のところは全く無いですが、機会があればまたやってみたいですね。
──「MIRRORLIAR FILMS」のコンセプトは「だれでも映画を撮れる時代の幕が開く」です。“誰でも映画を撮れる時代”だからこそ、今作を作る際に意識したことなどはありますか?
どういったメッセージ性を込めて、それがどのくらいの感覚で観ている人に伝わるのか。ショートムービーだからこその余白を大切にして、観る人が感じて考えられるような作品にしたいとは思っていました。
──俳優として、“誰でも映画を撮れる時代”だからこそ大切にしたいことはありますか?
想いや目的、制作と演者のボーダーラインが無ければ無いほど関わり合いはもっと深く良い作品になっていくような気がします。
今作を撮らせてもらったことをきっかけに、私自身ももっと制作側の想いや仕事を知り携わっていきたいと思います。
INTERVIEW
──今作『THE NOTES』が初めての映画製作だったとのことですが、どうして映画をつくることになったのでしょうか?
大学卒業後、私はもともと起業を目指していたのですが、共同創業者との連絡が途絶えて起業できなくなってしまい……。無職になってしまったので、何かできないことはないかと考えて映画をつくり始めました。といっても、映画製作会社や映画学校に入った経験がないので、映画関係の知り合いもいなければツテもなく、ネットで30名のメンバーを集めて……という感じで。
──そこでどうして映画を選んだのでしょうか?
もともと映像製作には興味があったので、映像作品を作ろうと思っていたんです。ただSNSを見ても、映像が上手な人はたくさんいる。そんなときに、12歳のときに小説で賞をもらったことを思い出して。ストーリーのあるものだったら自分の強みが生かせるのではないかと思い映画を選びました。
──それまでも映像作品自体はつくっていたんですか?
はい、趣味レベルですが。例えばゼミやサークルで、何かのときに作るというような。学生時代、アカペラサークルに入っていたのですが、毎年やっているコンサートでエンドロールの映像を作ってほしいと言われたことがあって。そのときは普通の映像だと面白くないなと思ったので、ホールのオブジェや、MCの内容、SNSの画像の背景など、コンサートの至るところに伏線を仕込み、エンドロールで伏線を回収するというものを作ってみました。
──本作『THE NOTES』の着想はどんなところからだったのでしょうか?
劇中のスコットさんの部屋です。あの部屋は友人の部屋なのですが、作曲をされている方なので、映画の通り楽器も置いてあって。あの部屋に遊びに行ったときに「すごく素敵な部屋だな」と感動して。ここで撮れたらいいなというところから、音楽を通して心を通わせていくというストーリーを膨らませていきました。
──児童虐待というテーマも扱っていますよね。このテーマはどういう考え方からですか?
子供の頃からずっと児童虐待については考えていたんです。「理不尽な目に遭う子供がいない社会を作りたい」というのはずっと人生のテーマとして持っていて、大学では経済的に恵まれない子どもへの支援について論文を書いたり、実証分析したり。こども食堂や定時制高校などでボランティアもしたりしていました。そういった中で、虐待を防ぐには家庭の中では限界があると思っていた。だからこの映画では、虐待を受けている子が、隣の部屋の人と繋がるということを描きました。あのような存在がいて、子どもが家庭の外の社会と繋がれたら、少しでも救われるんじゃないかと思っています。
──予算やスケジュールが限られている中だったとは思いますが、「絶対にこれだけは守りたい」というこだわりの部分はありましたか?
クオリティですね。“自主制作っぽい”というものにはしたくなかった。私以外はプロでやっている方が集まってくださったので、そこだけは絶対にこだわりたかったし、実際に初めての人が監督したとは思えない素敵な作品が出来上がったと思っています。あとは面白さにもこだわりました。12歳で小説を書いていたときから、自己満足のものを作りたくないと思っていたんです。常に、読んでくれる人、見てくれている人に面白いと思ってもらえるものを作ろうと心がけていて。
──12歳の頃から!? どうしてその頃からそういう思考だったのだと思いますか?
これに関しては答えが出ないのですが、自分が好きだった作品が、ちゃんと人を楽しませる前提で書かれていたものだったからなのかなと思っています。特に好きなのはミステリーだったのですが、ちゃんと展開もあって、トリックも面白くて、メッセージ性もちゃんとあるというような。だから自分もそういうものをつくりたいと思っていました。
──『THE NOTES』撮影中で特にうれしかったことを教えてください。
撮影前ではあるのですが、脚本を書き上げたときに、プロでお仕事をされている編集さんも含めてスタッフの皆さんから「正直、想像していたよりもすごく面白いです」と言ってもらえたのは嬉しかったですね。あとは初顔合わせのときに、おじいさん役のDirk Rebelさんが、主役の佐原杏奈ちゃんに、いきなりマジックを披露してくれて。すごく和んで、ほっこりしました。コロナ禍なので、本番以外はマスクをしていたりあまり近づけなかったりと、触れ合うことが厳しい状況だったのですが、皆さんが色々工夫をしながら仲良くなっていってくれて嬉しかったですね。
──初監督作となる『THE NOTES』、どのような映画になったと思いますか?
自分の中では宝箱のような作品です。自分の撮りたかったもの、伝えたかったメッセージを全部詰め込めたし、観ている人がワクワクするような展開も入れられたと思っています。
──「MIRRORLIAR FILMS」のコンセプトは「だれでも映画を撮れる時代の幕が開く」です。誰でも映画を撮れる時代だからこそ、その中での難しさや面白さはどう感じられましたか?
確かに頑張れば機材も誰でも手に入るし、なんならスマホでも撮れてしまう。本当に誰でも撮ることはできる時代だからこそ、何を撮るのかということがすごく大事なのかなと感じました。私は「自分にしか撮れないものって何なんだろう」とすごく考えながらつくったなと、振り返って改めて思います。
──今後はどのような活動をしていきたいと考えていますか?
誰も見たことがない映画をつくりたいです。例えばNFTとかDAOといった新しいシステムを使って映画を撮ってみたらどうかとか、そういう興味もすごくあります。ハリウッドのすごく大きな規模の作品も撮ってみたいし、Netflix作品もつくってみたい。個人的には複合的なエンタテインメントが好きなので、見ている人も参加できるような要素を入れるなど、新しい形のエンタテインメントをつくっていけたらと思っています。